『海豚にのりたい』

その壱「龍神の章」

2

浅瀬
 加奈子の小柄な身長では、少し歩いただけで膝まで波が寄せる。日本海側と違って、こちら側は殆どの海岸が浅瀬だということを、加奈子は初めて体感する。振り返り、水温の変わった辺りを指差した。
「あそこからが、龍神様のテリトリーね」
 そう言って、再び浅瀬を歩き出す。

「お嬢さん、もう戻って来なさい。そろそろ水が変わるよ」
 心配そうに老婆が声を掛けてくれる。
「知っています。心配しないで下さい」
「そうかい? 気をつけるんだよ。この海には龍神様が棲んでいるからね。無茶をすると連れて行かれるよ」
 老婆は加奈子に向かってそう言うと、子供の手を引いて去っていった。その後姿を暫し見送り、右手の掌を小さく振った。まるでバイバイとでも言うように。

(知っています、かぁ)
 加奈子は小さく溜息をつく。御伽話の中でなら龍神様は仲間よね。では、実際はどうだろう。
 日傘を通して感じる日差しは、更に厳しくなっている。右手の甲で、額に浮かんだ汗を拭った。

「お願いします。もし本当に龍神様がいるのなら、私の残り短い人生に海を見せて下さい」

 そう言い終わるか否か。突如竜巻が起こり、加奈子の手から日傘がもぎ取られるように飛んでいった。
(あっ。あれママのお気に入りだったのに)
 加奈子がそう思った刹那、今度は自分自身の身体が空中に投げ出されたように感じた――。
 それは、まるで空を舞っている白い蝶のように見えた。

著作:紫草



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