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色香5 『都会の風』

 同僚の松下紗江子が、三枝和紗に本性を見抜かれたと言って会社を去ったのは、あの合コンの僅か一月後のことだった。
 キープと豪語して憚らなかった男性社員の彼氏にはあっさりと振られ、というか、紗江子自身が二股かけられていたのかというタイミングで結婚の二次会の知らせが花音にも届けられた。
 当然、和紗にも届き、どういういきさつの相手なのだろうかと話題にもなった。

 南條花音はその同僚の彼に紗江子とは遊びだったのかと聞いてみた。しかし、それはないと言う。ただ親に会わせようかと思うと二の足を踏んでしまっていたと話した。
 結局、男はいざ結婚になると慎重になるという話だ。後から思えば、紗江子が彼の両親に紹介されたという話を聞いたことはない。花嫁さんはお見合いだったらしいが、あっという間に家族にとけこんでくれたと惚気ていたのを思い出す。

 そんな紗江子から、突然連絡があった。
 知らなかったが、彼女は結婚したのだという。そして和紗に話があると。
 本来なら、花音の耳に入れることなく和紗に連絡を取りたかったと思う。
 しかし紗江子が退職した後で和紗は携帯を替えていた。辞職後、連絡を取っていなかった彼女には新しい番号もアドレスも知る術はなかったのだろう。唯一変わらなかったのは、花音の自宅の番号だけだった。

 和紗に伝えることを、迷わなかったと言えば嘘になる。紗江子の口の上手さは知っている。
 しかし紗江子は花音の性格を知り尽くしていたというべきだろう。紗江子を罵倒してまで守ってくれた花音でも、未だ二人は恋人同士という関係だ。同僚の話が脳裡を過ぎる。
 結婚には慎重になるのが男だと――。
 いつか別れのあるのが人間だと思う。和紗が花音の前を去る可能性は残っていた。

「さえこって、松下紗江子か」
「今は結婚して、田嶋紗江子だって」
 花音は、いつものように夕食を済ませた後、和紗に話を始めた。と言っても紗江子からの要望は、ただ和紗に会いたいというだけだったが。
「今さら何のために会いたいのやら」
 和紗は面倒だという意味を伝えてきたが、断るという意味の言葉は聞かれなかった。だから花音は紗江子からの約束を伝える。
「今度の土曜、午後に駅前の本屋さんで待ってるって」
 彼女から聞いた新しい携帯の番号をメモ用紙に書く。バカなことをしていると、頭のどこかで鳴る警鐘は無視するしかなかった。

「結婚したってことはさ、あの性格を隠しきったのかな」
 和紗の言葉に思わず笑い、メモを渡す。
「花音も一緒に来るんでしょ」
「私は行かない。だって和紗にだけ会いたいって感じだったし」
 そう言うと彼は納得したのか、もう何も言わなかった。

 そして、あっという間に約束の日はやってきてしまうものなのである。
 前夜、接待があった和紗はこちらに来てはいなかったので、土曜の予定は知らなかった。ただ、こっちに帰ると言っていたのだが。
 現在、午後八時。
 何の連絡もないし外に出ようかと思ったものの、どこで鉢合わせするかも分からず時間だけが過ぎていった――。

 何かが、起こる。
 そんな不吉な予感だけが体を駆け巡っている。その日、和紗は現れなかった。

 気持ちとは裏腹な快晴の日曜。花音は早朝から出かけた。もやもやする気持ちを晴らそうと、少し離れたところにある公園に足を運ぶ。そこにはペットを連れた人が大勢集まっていて、一日いても飽きることがない。
 二歳くらいだろうか。連れてきている子犬を追いかけている姿は、どっちが遊んでもらっているのか分からない。

「可愛いな」
 思わず口を衝いて出た。
 普段、無機質な都会のなかで暮らしていると緑の匂いとか、風の音とか忘れているんだと気付く。
 それでも和紗といる時は、自然に笑っていられたのに。

 昨日、どうしたのかを考えると後ろ向きなことしか考えられないから、思考に無理矢理そっぽを向く。
 笑い声をいっぱい聞いて、笑い顔をいっぱい見て、そして元気を分けてもらって帰ろう。

 都会って怖い。
 人とのすれ違いが、あっという間に加速度を増して思いもかけない方向へ進んでしまう。

 芝生にごろりと寝転んで、ジャケットを顔にかける。滲む涙は瞳を閉じて、零れる前に閉じ込める。
 優しい彼は紗江子が困っていたから、きっと手を差し伸べてあげただけ。
 そう言い聞かせて一晩過ごした。だから今度会っても嫌味な言葉を言わずに済む――。

 いつの間にか、眠ってしまったようだ。
 夕べ、眠れなかったからかな。ジャケットを掴み上体を起こす。刹那、一陣の風が吹き抜けた。
「起きた?」

 思わず声のした方を見る。そこでは和紗が横になっていた。
「どうして…」
「花音ちゃん。お願いだから出かける時は携帯持っていってね」
「え?」
 その言葉に枕代わりにしたバッグを引き寄せ中を漁る。
「ない…」
 そりゃそうだ、と和紗が言う。
「だって部屋に置いてあるんだもん」
 部屋に来たんだ、そう言おうとしたけれど、声が震えてしまいそうで言えなかった。
「ここが…」
 よく分かったね、と言おうとして、それも途切れた。
「どうして此処が分かったかって? 簡単に分かるわけないっしょ。どんだけ捜したと思ってるんだって言いたいけど、ごめん。俺が悪いから言い訳さして」

 掌を合わせ、謝る和紗は何だか可愛い。
「ん。聞く」
「実は行きたくなくてさ。接待で飲み過ぎた。それで、もういないだろうなって時間になってから出かけたんだ。本屋に着いたのは夜の七時くらい。ところがさ、まだいたんだよな…」
 そして紗江子に居酒屋へ連れていかれたそうだ。
 少しは惚気もあるのかもしれないが、概ね旦那の悪口だったという。そして浮気してる振りをしたいから、手伝えと。
「浮気?」
「旦那に浮気相手がいるんだってさ」
 馬鹿馬鹿しくなって帰ってきた。ただ流石に深夜二時じゃ、花音の部屋に行くのはやめたって。
「寝不足だったけど頑張って早起きしたんだよ。なのに花音ったらさ。朝の八時にもういないんだもん。参ったよ」
 その上、携帯を忘れてきたしね。

 あの紗江子が浮気されるなんて。以前なら自分も浮気するって感じだったけれど、そこまで馬鹿じゃなかったか。
「いや、あれは近いうちに別れるんじゃないかな。子どももいないし、どうせ喧嘩ばっかしてるんならその方がいいよ」
 和紗はそんな風に紗江子の結婚を語った。
 結婚したからと言って、幸せになれるわけじゃないんだね。何となく、結婚に対して焦ってる自分がいたかもしれないと思った。

「腹へった。何か食べに行こうよ」
 言いながら、先に立ちあがった和紗が花音を引っ張りあげてくれる。彼について歩きながら、花音は思っていたことを言葉にしようと思った。
 心の中で、どす黒いものが蠢いているような数日だった。自分の中にこんな醜い感情があるなんて知らなかった。
 何より、和紗を誰にも取られたくないって、心底思った。これって嫉妬だ。でも片腕が義手という負い目は、これまでいつも花音に諦めるという選択をさせたのだ。

 そんな思いを口にしたら、少しだけ冷たい都会の風が吹きぬけてゆく。
「やっと聞けたな、お前の本音」
 振り返った彼の顔には、これまでと同じ大好きな笑顔があった――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2013年11月分小題【都会】

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