『純・粋』完全版


「みんなの視線が怖いの」
 久保田泉と話ができたのは、例の失踪事件から一ヶ月も経った夜だった。

 時期も悪かった。一年と二年は試験期間で不用意には生徒に近づけない。その後、受験のための準備に追われた。久保田は欠席が続いていたが、間もなく二年が終わるということもあってか、誰も話題にしなかった。
 秘密の恋人でもあり、同じ高校の三年である縞木璃香から情報はもらっていたものの、意外と問題にならないものだと思ってもいた。学年主任も何も言わず、実際例のメールを出したのが果たして榊田先生本人なのかということも確認できずにいる。

 璃香のマンションの部屋だった。
 久保田がどうしても学校は嫌だというので、おばさんに無理を言って彼女を呼んでもらった。
 何も話そうとしない久保田からの言葉を待った。璃香にも口を出すなと言っておいたから、軽く三時間は過ぎていった。漸くその口が開いた時、彼女が告げたのは自分に向けられる視線についてだった。
 小林保志。高校二年を担当する国語教師である――。

「誰も気づいてないんだろ。病欠という言葉を信じてるよ」
 璃香がクラスの様子を見にいって探ってきた。写真に気づいている生徒はいないと思う、と言う。
「それでも! 榊田先生は知ってる」
「泉ちゃん……」
 榊田先生にそれとなく聞いたことがあるが、久保田のことは問題にしたくないようで話に乗ってこなかった。
 いくら学校のものといってもPCを調べるには限界がある。
 メールは削除しているだろうし、校長でなければ共有ファイルを見る権限もない。
 同じ二年の担任だから会議で一緒になることも多く、以前よりは声をかけることも増えたが彼に不審な様子は見られない。勿論悪いことは隠すものと相場が決まっていることは分かっている。それでも彼がそんなことをするとは思えなかった。

「親のところには連絡がきてるだろ」
「はい」
 どんな話をしているかは知らないという。親は学校には無理に行かなくてもいいといい、その理由も聞くことはない。だから写真のことはまだ話していないらしい。
 随分、寛容な態度だなと保志は思った。
「このまま不登校になるつもりか。璃香は三月には卒業するんだぞ。いるうちに戻った方がいいんじゃないか」
 その言葉に久保田は泣き出した。
 ま、仕方がないか。でもどこかで覚悟を決めてしまわないと登校はできない。

「泉ちゃん。一緒に登校して保健室にいたらいいよ」
 璃香のその言葉にも返事はない。
 彼女自身も困った顔をしてこちらを見る。そんな目で見てもどうにもならないことだけは確かだ。
 璃香の肩に手を置き、頷く。今はまだ、早いのかもしれない。
 結局、久保田は登校するとは言わないまま帰っていった――。

 学年会議後、偶然榊田先生と二人で残ることになった。会議室の簡単な片付けをするのだが、ふと思う。覚悟を決めるのは自分も同じだと。だから思い切って榊田先生に声をかけた。
「今日、ちょっとつきあってもらいたいんですが何か予定がありますか」
 彼はすぐには何も言わなかった。それはそうだろう。自分は、これまで誰かを誘ったことなど一度もないのだから。
「予定はないですが」
 ここまできたら残すは勢いだ。
「先生って一人暮らしですか」
 事務で確認はしてある。書類上は独身で一人のはずだ。それでも同棲とかあるしな。
「何ですか。小林先生、おかしいですよ。急にそんなことを」
「今日、先生の家行ってもいいですか」
「はあ!?」

 今、榊田の部屋にいることを思うと、基本的に彼は優しい人だと思う。胡散臭い言葉の果てに断られても文句は言えなかった。
 保志自身は1DKのマンションに一人暮らし。賃貸料が勿体無いという理由で購入した。何となく同じかと思っていたら、こちらは3LDKの家族仕様の部屋だった。聞けば、もともとご両親と住んでいて、お二人は故郷に帰ったのだという。それなら、この広さも頷ける。
 途中で夕食にと弁当や酒を買ってきたので、まずはそれを食べることにする。
 そして久保田の話を少し振ってみる。
「彼女は病欠で暫く登校していませんよ」
 分かってる。でも、それは嘘だ。
「実は、彼女に会っています」

 榊田は冷静な人だった。
 久保田のこと。璃香のこと。そして璃香との関係も話した。その上で自宅に保存しているというメールのプリントを見せてくれないかと持ち掛けた。暫し言葉はなかった。
 でも、こちらへ、と誘う姿は紳士的に見える。
「学校のメールは自宅でも確認しています。これがプリントアウトしたものです」
 かなり分厚い紙束を渡された。保志は件のメールが届いた日付を探す。
「これ、この日覚えていますか」
 彼は前後何枚かを見て、覚えていると答えた。
「学校を出たのは何時頃でしょうか」
「この日は田舎から母が上京したんです。学校を出たのは午後六時頃でした」
 そのまま待ち合わせをして外食したという。その時のメールも残っていた。やはり彼はメールの送り主ではない。
 メールの送信時間とほぼ同じ時刻、スマホに御母堂との写真があった。

「これを見て下さい」
 璃香に転送された久保田のメールをプリントしてきた。送信元が残っている。榊田は次第に表情を強張らせ、これは何だと詰め寄ってきた。
「今、久保田が不登校なのはこのメールの先にあった画像のせいです」
 彼は机に座るとPCにリンク先を打ち込んでいった。しかしすぐには見られなかった。
「会員限定のサイトですか」
「俺も詳しくはわかりません。登録はメールアドレスだけで簡単にできます」
 その言葉に彼は迷わず新規登録ボタンをクリックする。程なくメールが届きサイトにログインすると再びリンク先を確認する。
 言葉を失う彼を見たくなくて、後ろを向いた。
「これは……」
「盗撮です。たぶん写真ではなく映像だと思いますが、今のところ他の写真や動画は確認できていません」

 静寂のなか、時間だけが過ぎていった。
「このメールが久保田のところに届いた。彼女は俺が送ったと思ったんですね」
 生徒の信用を失う瞬間は辛いだろう。でも彼は強かった。
「調べましょう。誰が俺のアドレスを使ったのか。つきとめます」
「できますか」
 まず、その日時に学校にいる人間を確認する。怪しい人がいなければ、外部から乗っ取られたことになるが学校のPCにその可能性は低いだろう。あとは生徒だ。榊田の動きは早かった。復元もできるという。
「このご時世、ハッキングができる生徒もいると思います。しかし必ず痕跡をとどめます」
 通り一遍の使い方しかできない自分とは次元の違う話だった。しかし分かったことがある。彼は無実だ。
「久保田の親にどんな連絡を入れているんですか」
「連絡どころか、都合が悪いと言われるだけで家庭訪問をさせてもらっていません。共働きなのは分かりますが、不登校を問題だと思っていないようです」
 そうだったのか。
 確かに久保田自身も不登校を悩む感じはなかった。それよりも。
「みんなの視線が怖いと言っていました」
「それは今回のことがきっかけになって自覚したのでしょう。彼女はもともと視線耐性が低い生徒です」
「視線耐性」
 聞いたことのない言葉だった。
「人と目を合わせられないんですよ。だいたい顔のあたりは見ているんですが、視線は合っていない。俺はこの二年、彼女の視線を受けたことはないです」

 何だ。
 榊田先生は噂よりもずっと熱血教師じゃないか。これなら大丈夫だ。久保田は戻ってこられる。
 問題は山積みのままだ。でも教育というものは問題を解決しながら、生徒を育んでいくことなのだと改めて思う。そして榊田とのこれからの関りが、きっといいものに変化していくという予感がした――。
【To be continued.】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2019年2月分小題【教育】
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