『家族』 完全版 1


 以前。
 産院に於いて、赤ん坊の取り違えという事件が起こっていたという報道があった。
 DNA検査が個人でも受けられるようになったこともあるだろう。記者会見を開いて、実母に名乗り出て欲しいと訴えている男性の映像を見た覚えがある。その人は、何処かに入れ違った赤ん坊を自分の子供と信じて育てている実母がいると言っていた。
 このニュースを母と一緒に見ていた。
 母は、血液型だけでは取り違いに気づけない人もいると言っていた。確かに我が家がそうだった。父がA型、母がB型、どちらの祖母もO型の為、どの型が出ても不思議じゃない。マンションの九階に父と母と妹瑛里華との四人家族だ。

 とある日、あれは突然やってきた。
『私とあなたは入れ替わっていたの。ここは私の家なの』
 そんな言葉と共に、上がり込んできたのが松本芽美だった。
 高野祥華、高校一年の夏だった。

 両親が調べると、果たして取り違えの事実はあったという。判明したのは、あちらの血液型がきっかけ。実母は不倫だ、離婚だという騒ぎの中、病院側から取り違えの件を告げられたらしい。とりあえず不倫でもなく、離婚もなくなり、元に戻った家族だったらしい。
 しかし、これで話が終わる筈がない。子供を血の繋がった親元に返すか否かが話し合われた。すぐには結論は出なかった。すでに高校生という年齢になっていたことで、血の繋がりよりも、育ての親の方が影響力が大きいというアドバイスもあった。
 しかしたった一人、芽美だけは元に戻ることを望んだ。
 本当の親の所で暮らしたいと言い張った。

 両親から初めて話を聞いたのは、彼女が乗り込んできてから一ヶ月後のことだった。まず、祥華はこのままこの家にいてもいいんだよ、という母の言葉から始まった。名前も変わらないし、瑛里華との関係もそのままだと。
 ただ一週間だけ、夏休みを利用してあちらの家に行くことになったと言われた。
 家そのものは、それほど離れていない。電車で三区間、少しだけ都心を離れた住宅街の一軒家だった。

 初めて電車を降りホームに立った時、その場にいた男の人と女の人が実の親なんだなと思った。一緒に来るという両親には遠慮してもらい、少しだけ時間をずらして私たちは入れ替わった。
「初めまして」
 他にどんな挨拶をしていいのか分からず、祥華はその言葉だけで頭を下げた。
「よく来たわね。車で来てるの。さあ、行きましょう」
 母親は愛想よく声をかけて来たが、父親は黙っていた。祥華は言われるまま車の後部座席に乗り、自宅と呼ばれる場所に向かった。
 隣接する場所に小料理屋を営業しているという。兄が一人と妹が一人いるらしい。
 リビングというよりは居間という和室に通される。座卓の四方に座布団が並べてある。畳の部屋に縁がない祥華には珍しい光景だった。

「やっぱり似てるわね」
 母親がこちらを見ながら、そう言った。
 誰と、祥華の脳裏をよぎった思いには気づかなかったのか。それとも気づいていながら、あえて無視したのか。
 飲んで、と言ってマグカップを出される。コーヒーが淹れてあった。
「いただきます」
 手元に寄せて、少しだけ口をつけた。砂糖もミルクも入っていない苦いコーヒーだった。
「こっちには来ないと聞いている。でもお前はうちの娘だからな。名前は変えた方がいいんじゃないのか」
 父親が初めて口を開いたのは、名前のことだった。
「いえ。学校には何も話していないので、このまま変えません」
「そうか。だが黙ってくれてやるわけにはいかないからな。あちらのご両親とはまだ話をすることになると思う」
 それだけ言うと、祥華が何も言わないうちに彼は部屋を出ていった。料理人という人はもっと人当たりがいいのかと思っていた。それとも彼が特別なのだろうか。
 そろそろ日が傾き始めた。部屋がオレンジ色に染まり始める。
 自分の家なんだから、と母親は言う。しかし初めて訪れた家は他人のものだ。一人で残された。肩に力が入っている。

 困ったな。
 こんなことで一週間もいられるだろうか。

 暫くすると台所から音が聞こえてきた。
 祥華は部屋を出て、音のする方へ向かう。
「何かお手伝いしましょうか」
「いいのよ。そんなことしなくて」
 それより、ここは汚いから向こうに行っててくれと言う。
「大したことはできません。野菜、洗えばいいですか」
 すると揚げ物をするつもりだと言う。
「茶碗蒸しとお吸い物、どっちが好きかな」
「茶碗蒸しは普段食べないので、比べることはできません」
「そうよね。じゃ、今夜は茶碗蒸しね」
 冷蔵庫を開けて、何があったかなと見ている。
 そんな姿を見ると普通のお母さんだと思う。祥華も何かをしている方が気が紛れる。
 茄子とアスパラガス、さつま芋もある。
 天ぷらかな。あ、お肉もある。これはカツだな。
 台所は昔ながらの壁に向かうタイプのシンクだ。調理台もそれほど広くない。
 どこで衣をつけるのかな、と思っていると母親が戻ってきた。
「えのきと竹輪と鶏肉ね」
 茶碗蒸しの具のことだろうと頷く。
 豚肉を少し大きめの一口サイズに切り、塩胡椒をふる。
「アスパラは下茹でしますか」
「え? あゝ、そうね。お願いしてもいいかしら」
 袴を切り落とし、半分にしてもいいかと確認する。
 お湯を沸かしている間に食卓に衣をつける支度ができていた。なる程、こちらで作業をするのかと納得した。

 気づけば二人で夕食の支度を終えた。
 意識さえしなければ、普通に接することはできそうだ。
「何でもできるのね。お母様の育て方がちゃんとしてる証拠ね」
 それに引き換え、と言ったところで言葉が少し止まった。
「芽美は何もできないの。文句を言うばっかりで、きっと幻滅されてしまうわね」
 自分がどのくらい躾られているかは分からない。ただ、両親は優しいが厳しいところもある。
 でも、それは何処の家庭でも同じではないだろうか。現に父親はあれから戻ってこない。多分、祥華のことが気に入らないのだろう。
 それでも今日から一週間、ここで過ごすのだ。

 ほどなくして、兄と妹が二階から下りて来た。
 同じように初めましてと挨拶をして、席につく。父はお店があるからいないというので四人で食べることになった。
 先ほど、似ていると言われた意味がわかった。
 祥華は兄の隼人とよく似ていた。妹は父親似だ。すると自分は母親似と言うことになるのか。
 そういえば芽美はどちらに似ていただろうか。一度しか会っていないので、あまり覚えていない。

「これ、美味い」
 隼人がアスパラのベーコン巻きをフライにしたものを食べながら、そう言った。
「祥華さんが作ってくれたのよ。何でもできちゃうの。茶碗蒸しも殆んど作ってくれたのよ」
 妹の麻美はすごいねと褒めてくれた。
「じゃさ、明日からも作ってよ」
 隼人の言葉に、母親が駄目だと言う。
「夕飯は当番制でみんなが作るの」
 麻美はまだ小学生だから、ラーメンとか冷凍食品が多いけれどねと笑った。父親は定休日の火曜日だけ一緒に食べるらしい。母親も普段は店に出るが、今日は特別に休みをもらったという。
「わかりました。私も順番に加わります」
「やった」
 家族団欒、という感じだろうか。
 小さな頃からお稽古事が多かったから、食事はみんなバラバラなことが多かった。
 少しだけ、こんな家族もいいなと思った――。
【To be continued.】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2020年4月分小題【感情(純愛・不倫・過酷)】
Nicotto創作 List 『家族』2
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