『家族』 完全版2


 居間を片付け、そこに布団を敷いてもらった。
 これまで修学旅行でしか、畳に布団を経験したことがない、と言うと驚かれた。
 母親は、とても気遣ってくれていると思う。深夜、午前0時をすぎると父親が帰宅するが顔を出す必要はないとのこと。まだ起きているとは思うが、流石に会いたくはない。甘えることにする。
 祥華にとっての母は、高野の母一人だ。
 でも今、目の前にいて支度をしてくれる人も母なのだと思うと、不思議な気持ちになる。もっと小さな頃に真実が判明して、元に戻ることが決まっていたら、どんな生活を送ることになったのだろう。
 実現不可能ではあるけれど。
「じゃ。おやすみ。明日はゆっくりでいいからね」
「はい。おやすみなさい」
 見送った後ろ姿はどこか淋しそうに見えた――。

 ここには日曜日に来た。そして火曜日、父親が一日いるという朝だ。
 祥華は前日と同じように、朝食の支度の為に台所に立っていた。母親はもう何も言わず、味噌を溶いている。
「よく眠れているかしら」
 相変わらず、ぎこちない言葉をかけられる。
「はい。宿題を持ってきているので、今日はやるつもりです。何か用事がありますか」
「宿題。そうよね。特に予定はないから大丈夫」
 ぬか床からきゅうりと茄子を出して洗い、適当な大きさに切っていく。すると、おはようと声がした。父親だった。
「おはようございます」
「早いな。いいところ、見せる必要はないぞ」
「ちょっと、お父さん。この子はちゃんと毎日手伝っている子ですよ。やることも分かっているし、いろいろと作ってくれるの」
 母親は楽しみにしていたら、と笑った。祥華が何かを言う必要はなかったようだ。
 手元を見て、きゅうりはもう少し斜めでもいいぞと言ってくれた。
「はい」
 彼女がお味噌汁を作っている間に卵焼きを作ることにした。
「昨日はハムエッグだったんです。今日は手抜きだし巻き玉子です」

 父親が、手抜きとはいい方法だなと笑う。
「プロの方には申し訳ないですが、だしの素を使います」
「お母さんが、そう教えてくれたのか」
「はい。朝は忙しいから、楽ができるところは楽をしなきゃやってられないと言います」
 彼は少しだけ何かを思案するような表情を見せ、それは利口な考え方だと言った。
「いつも和食なのかしら」
「いえ。パンの時もありますし、早すぎる時間の時は出先で食べることもあります」
 ただ一番多いのは納豆ご飯とお味噌汁。卵は必ず一品を作るようにしている。いつもしていることを、ここでもやっているだけだ。
「大したもんだ」
 父親がそう言ったところで、兄隼人が下りて来た――。

 両親が祥華と並んでいる姿に驚いているようだ。おはようと挨拶をしたものの、すぐにフライパンに視線を戻す。
「今日は何」
 隼人は何も言わないまま、祥華に聞いてくる。
「手抜きナンチャッテだし巻き玉子です」
「何だ、それ」
 そう言いながら、父親同様、隼人も祥華の手元を覗き込む。
 長方形の玉子焼き専用のフライパンに、何度目かの卵を流し込んだところだ。
 刻んだネギが綺麗な色目を見せている。
 こんな風にみんなで台所に立つのって、初めてかも。自宅では母と一緒になることは多いが、父は絶対にいないから。
 こちらの父親との最大の違いだなと思った。

 玉子焼きは二つ作った。適当な大きさに切って平皿に盛る。他に納豆と鮭の切り身が焼いてある。
 お味噌汁は豆腐とわかめが入っていた。同じ作り方をしていても、その家の味がする。それは出汁や味噌の違いだけではなく、家庭の味という雰囲気があるからなのだろう。
「美味い!」
 隼人が玉子を頬張りながら、言ってくれた。少しだけ恥ずかしかった。

 一週間は、静かに過ぎていった。
 帰りは一人だ。見送りは要らないと断った。あちらはどうするのだろうか。連絡がないので分からない。
 この一週間。母からはメールの一通もなかった――。

 マンションの集中ロックに赤外線用の鍵をかざす。何事もなく扉は開き、管理人さんに声をかける。
「さっちゃん。暫く見なかったね。何処かに出かけてたの」
「はい。夏休みなので」
「そうだね。ところでお母さんと一緒にいる子、見かけない子だけれど、誰かな」
 何となく言いにくそうな感じで尋ねられた。
「知り合いです。何かありましたか」
「いや。挨拶しても返事がないから気になってね」
 ごめんなさい、と謝ってエベーターに向かう。
 挨拶か。確かに、あちらの家で挨拶って母親としかしなかったんだよね。もしかしたら、もともとしないのかもしれない。
 そんなことを考えながら、玄関を開ける。

 え?
 どうして!?

「お帰りなさい」
 奥から、母の声がした。ただいま、と言いつつも祥華は三和土から上がれなかった。
「どうしたの。入りなさい」
「お母さん。どうして彼女がまだいるの」
「帰りたくないって。今、あちらに連絡したところよ」

 どうして帰らないの。そんな言葉を、芽美は予想したのだろう。何も言っていないのに、自分から話す。
「ここは私の家よね」
 衝撃の一言だった。
「あちらのご両親、あなたの帰りを待ってると思うけど」
「嫌よ。私はここで暮らすの」
 何を言っても聞く耳を持っていなかった。

 結局、二人とも高野の家で暮らすことになった。芽美がどうしても帰らないと言い張ったからだ。
 松本の両親が乗り込んできて、連れ帰ることができないなら祥華と交換だと言い放った。しかし高野の父が祥華は手放さないと言ってくれた。そして芽美を連れて帰ればいい、と言ったのだが、やはり彼女は首を縦に振らなかった。
 何故、そこまでここに拘るのか。育ててくれた親への思いはないのだろうか。
 何より、父は芽美を受け入れなかった。
 血の繋がりよりも、育ててきた時間の方が貴重だと思ったらしい。それは芽美その人を見て判断したという。父の目に彼女がどう映ったのか。本当の意味では分からない。

 高校は転校することを許されず、自転車で片道四十分以上かけて通うことになる。学費や保護者の連絡も全部自分でやるように言われた。それでも彼女は帰らないことを選んだ。
 祥華は、家族を一人失う松本の家を思った。自営業で普通の家とは違うが、朝は揃ってご飯を食べ、口煩い母親と寡黙な父親、そして隼人と麻美もいる。家族とは何かを思う。
 父と母と瑛里華、祥華にとっての家族はこの三人だ。

「お父さん」
「何だ」
「今度の火曜日、向こうの家に行ってきてもいいかな」
 一瞬、父の表情が強張った。
「気にする必要はない。帰らないと我が儘を言っているのは彼女だ」
「分かってる。私が行きたいの」
「お前も向こうの方がよくなったか」
「違う!」
 お父さんが祥華を手放さないと言ってくれて、本当に嬉しかった。だから行けるんだよ。
 帰ってきて芽美がいると分かった時、少しだけ失望したのだ。やっぱり本当の子供がよかったのかと。
 でも、父の言葉が救ってくれた。
 あの日、帰宅した父は何も聞かず、芽美に帰れと告げてくれた。

 不思議だなと思うものの、あまり考ないことにする。生まれた時刻で彼女は姉だ。だから今は姉が増えたと思うことにした。まだ小四の瑛里華は物珍しいのか、芽美の所にもよく行っているが、勉強はできないらしい。教えてとやってくる。
 朝、いつものように台所に立つ。母は、これまでと同じように祥華とだけの時を過ごす。芽美には早く起きてくるように言ったことがないらしい。
 どうして芽美には朝の支度の大切さを教えないのか。
 思わず、母を見つめ過ぎてしまったみたい。
 手を止めて、こちらを見て微笑んでくれる。

「お母さん」
「何」
 何でもない。
 首を横に振り、卵を割る。

 これも一つの家族の形だ ――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2020年4月分小題【感情(純愛・不倫・過酷)】
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