『人形遣い』その拾四

 花音を捜す旅は、簡単なものではなかった。
 父が華族会館に問い合わせてくれた資料はあるものの、孝哉が信州に到着した時、朝倉公爵一家はすでに立ち去った後だった。
 行き先は分からない。
 また振り出しに戻って、捜し直しだった。

 あっという間だったのか、それとも気の遠くなるような時の長さだったのか。それは孝哉本人にも分からない。
 似た人を見た、会ったと云われれば出向いて行った。その度に違っていたり、遅かったりの繰り返し。
 いつしか家を出て半年が過ぎていた。
 そして手掛かりは、思わぬところからみつかった。

 孝哉は、急ぎ汽車に乗る。
 今度こそ花音に逢えますように、と何時ものように願掛けをして。

 そこは季節外れの軽井沢だった。
 夏の避暑の季節には多くの人出で賑わうが、冬を目前にした今は閑散としていた。
 別荘も殆ど人の出入りはなく、時折、管理を任されている人に会うくらいだった。
 此処に朝倉家の別荘はない。華族とはいっても、軽井沢に別荘まで持っているのは余程の家だろう。多くの華族は伊豆へ行きたがっていたし、軽井沢は少し不便なところだと感じていたから。
 しかし花音は此処にいる。
 この別荘数十軒のなかの、何処かに必ず。

 駐在に聞いても要領を得ないので、結局、孝哉は自分の足で一軒一軒歩いて廻ることにした。
 また入れ違ってしまったら、と不吉な予感が頭をよぎる。
 しかし、これしかないのだと弱気になる気持ちを奮い立たせた。

 軽井沢に来て四日目、そろそろ雪が降ってきてもおかしくない冷え込みになってきた。
 野宿するにも限界はある。
 そうなるとホテルに宿泊することを考えなければならない。
 ホテルまでの往復の時間や金銭的にも無駄が増える。
 空を見上げると、快晴だ。
 雪雲がこなければいいのに…
 孝哉の弱気な呟きも、今日の天気には有効なようだ。

 午後になって数軒、鍵の開いている別荘があったものの、何処も別荘荒らしの類に鍵を壊されたようだった。
 そこを離れ更に奥へと歩いてゆくと、小さな湖のような処へ出た。
 深い翡翠色。
 きっと孝彌なら、もっと綺麗な名前の色を云うだろう。
 白樺に囲まれた、楕円の湖。
 森の奥のわりには木々が伐りこんである。きっと近くに別荘があるのだろう。
 孝哉は、その別荘を目指し歩き始めた。

 その時だった。
 微かだが、枝の折れる音がした。
 孝哉は、誰かいるのかと思い振り向いた。
 すると、そこには見知らぬ老婆が立っていた。

「誰だ」
 老婆の口調には、警戒と威圧が含まれている。
「人を捜しています。この辺りに、三枝子爵の別荘はありませんか」
「三枝様の知り合いか」
 老婆の言葉に、安堵がみえる。
「直接は知りません。そちらに朝倉公爵縁(ゆかり)の者が世話になっていると聞いてきたんです」
 聞きながら孝哉は懐中から、壱円札を数枚取り出して老婆に握らせた。
 彼女は一瞬驚いた表情を見せたものの、それが紙幣だと分かると素早く袂へ片付けた。
「この先に大きな樫の木がある。そこを左に折れて行くと三枝様の別荘だ。二月くらい前からどこかの華族が来て厄介になってるよ」
 それだけを云うと、金を返せと云われたら大変だとばかりに急いで立ち去った。
 孝哉の云う“ありがとう”は老婆の耳には届いていないだろう。

 漸く手繰り寄せた縁。今度こそ間違いない。
「今、逢いにゆくから」
 孝哉は改めて荷物を背負い、花音への第一歩を踏み出した――。

著作:紫草

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