大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
龍族の統べる天上界。
此処ですら万物を司るブラフマー神には、多くの世界の一つでしかない。
それでも此処は、どの龍が治める天上界よりも長く続く星だった。
龍族といっても普段は人型をとって生活し、そして地上界への『水の脈(みち)』を通り往き来した。
多くの龍族は互いに牽制し合い、天上界を治める。
そして極稀に、天界とも繋がりを持つのだ。
地上界に、人の世界とそうでない世界があるように、天上界と天界も似ているようで違っている。確固たる上下関係に天界の者は天上界への出入りは許されてはいなかった。
人の単位の一年に一度、選ばれし者だけが天上界への河を越えることができることになっている。ただ本当に“河”を越えてくる天人はいなかった。
その依頼書が天上界に持ち込まれたのは、そんな形通りの舩に乗せられた文箱の中だった。
「何と…」
龍族の長が読み上げた内容に、多くの龍が絶句した。
「長。まさか、云われた通りにするなんてことはないですよね」
次期長となる春宮が、恐る恐る声をかけた。
すると、そこに集まった龍たちもまた、あってはならぬと騒ぎ出す。
しかし長は何も云わなかった。
何もないまま時が過ぎてゆく。もしかしたら長もこのまま無視するのではないか、と多くの龍は思い始めた。
そんな雰囲気が漂い始めて、暫く経った時だった。
「ザキーレを呼べ」
それを受け、使いの者が走ってゆく。
「長。天界の頼みとは云っても、聞く必要はないのでは…」
春宮の声は震えていた。
それはそうだろう。
その依頼書には、龍族から天界へ一人送って欲しいと書かれてあった。
地上界へ往ったまま還ってこない龍はいる。
しかし、天界へ往く龍など聞いたことがない。
それでも長は、ザキーレを呼べと云われた。つまり、奴を送るということか。
暫くしてザキーレが現れた。長の言葉は、簡潔だった。
「リューシャンを天界へ送る。先に往って、向こうを調べよ」
頭を下げることで、肯定の意思表示をする。言葉を失った龍たちは、リューシャンの名を聞くと更に顔色を失った。
リューシャンとは、龍と人との間に産まれた子だった。
力こそ龍族一と云われながらザキーレ以外を身近に置こうとせず、長とは話をするものの、他の龍とは上手くいかない。
やはり地上界に残った母龍が、リューシャンだけを天上界に置いていったことが影響を与えていると多くの者が思っていた。
「間違うな。厄介払いをするのではない。アレ以上に天界へ往って無事だという保障を持てる奴がいるか」
皆が顔を見合わせ、目を伏せる。
「今、天界と事を起こすのは避けたい。天上界でも均衡が崩れそうなのだ。替わりに往ける者があるか。希望するなら代えてやるが」
長の言葉は冷たい。なまじ女のように美しい顔形をしているので、こういう時は恐怖を煽る凄みがある。
(誰もいる筈がない。天界など、舩が往き来するだけでどんな処か誰も知らないのだから)
長の顔に浮かぶ苦笑いの意味に、気付くものは少なかった。
春宮は思う。
(リューシャンに罪はないのに。苛められ、仲間からは外され、挙げ句天界へ往けなどと、一体どう伝えるのか)
しかし長は決めたのだ。もう誰にも止めることは出来ない。
「ザキーレ、頼んだぞ」
長のその言葉が合図であったように、彼はその場から瞬時に姿を消した。
(跳んだか…)
天界の神。
何故、突然、上の者を欲しいなどと云い出したのか。
しかし何の答えもないままに、天上界ではリューシャンの“送りの儀式”が始まった――。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】