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Penguin's Cafe
『香り漂うお客様』

 ♪カラ〜ン
 耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。
『いらっしゃいませ』
 店主の低音が、心地良く耳に届く。
『Penguin’s Cafeへようこそ』

「ご注文は何にいたしましょう」
「カフェオレを」
 そう言ってから、ノートパソコンを取り出した。そして、いいかという意味合いの表情をマスターに向ける。
 彼は、ご自由にどうぞと新しいオシボリを渡してくれた。

 単なる喫茶店のマスターとは違う空気をかいだ気がした。
(こいつ。見かけは優男って感じだけど、気安く触ると火傷しそうだ)
 同じ男の目から見ても、好い男ってのは要注意。そんな話をしたことがある。
 確かに好い男だよな。
 もし彼奴が、この男を見たら何と言うだろう。計らずも、ここにはいない女の姿を思い浮かべることとなった――。

 暫く夢中になってパソコンに向かっていると、マスターが空になったグラスに水を注いでくれる。
「あれ、近くに金木犀がある?」
「お客様ですよ」
「えっ、俺!?」
「はい。入ってこられた時から仄かに香っておいででした。何処か、金木犀のある道を抜けてこられたんじゃないですか」
 そっか。俺か。
 じゃあ、あそこだ。一本裏通りに入った道。あの辺りは、むせ返るようなこの香りが一面を支配していた。
 あの匂いつけたまま、入ってきちゃったってことか。
 ふと、それをおくびにも出さなかったこの男に興味を持った。

「マスター。名前は?」
「神部です。神部雄一郎」
 言いながら、名刺を差し出してきた。
「もらっとく。俺は山岸允彦。写真家でライターも兼ねてる」
「ご活躍ですね」
 あれ、今の言い方って俺のこと知ってる?
 そんな不可解な表情を読まれたのだろう。彼は一旦テーブルを離れ、一冊の雑誌を手に戻ってきた。
 それは隔月間発行のカメラ雑誌だった。この号には、俺の写真が載っている。
「いい写真だと思って見ていたんです。まさかご本人にお会いできるとは思いませんでした。光栄です」
「ありがとう。こんな風に褒めてもらうと何だかくすぐったい気もするけど。でも、相手がマスターなら素直に嬉しいよ」

 店内に静かに流れる音楽は有線ではなく、CDのものだ。
 つまり彼が選んだ曲がかかってる。日により、天気により、そして居合わせた客により選ぶ曲は違うのだろう。そんな空間に、ずっと居たいと思った。仕事の記事を作りながら、イライラすることがまるでなかったなと初めて気付いた。
「居心地が良すぎて、居座ってしまう迷惑な客になりそうだ。そろそろ帰るよ」
「いつでもいらして下さい。山岸様なら、どんなに長居をされても大歓迎です」
 そう言って浮かべた笑みは、男ですら綺麗だと思わせる。
 彼のレジを操作する腕と手の動きに、思わずシャッターをきりたくなった――。

「じゃ、また」
 その一言は、俺が常連となる証でもある。
【了】

著作:紫草

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