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Penguin's Cafe
『和菓子〜錦玉羹』

 ♪カラ〜ン
 いつもなら扉に付けた鈴の音が、頻繁に鳴り響くPenguin's Cafe。
 店主の心地よい低音も鈴の音同様、今日は余り聞こえない。いつも賑わうこの店も、偶にはこんな日もあるだろう。

 空梅雨から始まった今年の梅雨。梅雨前線が消えたり現れたり、台風が過ぎても関係ないところも多かったらしい。
 各地で再び水不足のニュースが報じられ始めた。
 それなのに俄かに店内までが暗くなったと思った刹那、大粒の雨音が聞こえてきた。一瞬の閃光が走り、続いて雷鳴が轟き、そして店の外は空間が隔てられた別世界のようになってしまった。

 閉店まであと三十分だ。店内に残るのは、少し早いお中元だと和菓子を届けてくれたオーナー、ただ一人だけ。
「雄一郎君。この雨じゃ、今日はもう閉店ね。お茶しよう」
 そう言いながら奥の冷蔵庫に向かう。きっと、さっき自分で入れた和菓子の箱を持ってくる心算だろう。ならば、こちらは熱いお湯とたっぷりの氷で冷茶を作ろう。
「常連さんから、八十八夜の新茶を戴いているんです。折角の錦玉羹なので、冷茶を淹れますね」
 箱を手に戻ってきたオーナーに声をかけながら、お湯を沸かす。
「だったら、有田の茗碗を出そう」
 そう言うと厨房のなかに入ってきて、食器棚の扉を開け食器を探している。
「下の扉の中棚ですよ」
 薄い有田の上品な煎茶椀。内側はともかく外側にはいろいろな柄のある茶碗も多いなか、オーナーの持ってきたのは真っ白なそれだった。
 店では使わないが、急須も茶さじも置いてある。急須に注いだお湯が、中の茶葉を開き香りを含む。それを一旦、大量の氷を入れた麦茶用のガラスポットに注ぎ換える。
 薄くならないように、苦くならないように、少しだけ加減して最後はオーナーの出してくれた煎茶椀に注ぐのだ。何故か、オーナーはそれを茗碗と呼ぶ。以前、どういう意味かと聞いたが、字面が好きだから使っているだけでそれほど厳格な違いはないんじゃないかと言っていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 とりあえず、とお茶を先に飲むそうだ。
 夏用の籠皿に錦玉羹が置いてある。クリスタルガラスのような透明感と冷たさが目でも楽しめる逸品の和菓子だった。

「オーナー、これ、どうしたんですか」
 カウンターにいたオーナーの隣に座り、自分用に置かれた錦玉羹にスプーンを入れる。
「戴き物よ。今年は和菓子もお店に並べてみたらって贈って下さったの」
 そこで微かに口元が綻んだ。分かりにくいが彼女の小さな意思表示は、いつもこんな感じである。

「誰が?」
 オーナーが告げたのは、自分も知る旧友の名だった。
「なら、日替わり定食みたいに、和菓子の日でも作りますか」
 そう言ったら一瞬の間をおいて、オーナーが珍しく大声で笑い出した。どうやら、何かがツボに嵌ったらしい。
 いっそ、冷たい抹茶やお茶とセットにしてしまえばいいんじゃないか。そうはいっても、オーナーがお水点てをしてくれると言ってくれないと無理だけど。
 まだ、笑いのなかにいるオーナーを横目で見ながら、この話はまた今度でいいか、と改めて錦玉羹を口に運んだ。

 外界は、まだ雨のカーテンの向こうにある。
 閉店のプレートを下げたら次はオーナーの好きな銘柄の熱い珈琲を淹れようと、冷たい新茶を飲みながら雄一郎は思うのだった。
【了】

著作:紫草

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