誘拐

 刹那、紗都が笑った。いつものように。
 誰からも好まれる、優しい笑顔。人を寄せ付ける、可愛い笑み。
 でも、さっきとは違う。全然、違う。何かが違う。

「お前って、裏表あんの!?」

 自分が言った言葉にも驚いたが、その言葉に反応した紗都にもっと驚いた。
「内緒にお願いしますね。櫻木先輩」
 その笑顔は、あくまでいつもの天然顔。
「それに櫻木先輩が古都先輩を好きだってことは有名ですよ。くだらない悪戯は止めて下さい」
 また、それか…
「そう言って、みんな俺のこと牽制するんだよな」
 そう愚痴ったら、紗都が笑う。
「当たり前です。誰が駅の待合でキスなんてしますか。先輩、自分がどんなに注目浴びてるか、知らなさ過ぎです」
「お前なぁ」

 あれ… 何か、違くないか。
 紗都の顔を見る。
 やば。仮面取れちゃった、と紗都が舌をペロリと出していた。
 思わず笑った。
「いい根性してんじゃねぇか」
 櫻木の言葉に、紗都も答える。
「そうでなきゃ、お金目当てで寄ってくる人間を手玉に取ったりできません」
 紗都…
「確かに古都のこと、本気で好きになりかけた。でもさ。彼奴、揺らがないどころか、洸と付き合ってもいなかったのに、俺のこと、全然男として見てないんだもん。そんな奴、落とせないだろ。それに今じゃ莫迦ップルだからさ、もう気が済んだ」

 今度は、紗都が驚いている。
「それで、どうして私なんですか」
「お前のことは入学してきた時から知ってたよ。学校から気をつけてくれって頼まれた」
 頼まれたって、と言葉を失う紗都に、正直に話そうと思った。
「家が凄い金持ちで、よからぬことを考える奴が多いから、もし校内で問題が起こった場合、生徒会の権限で治めて欲しいってさ」
 紗都の瞳が、揺れているのが分かる。
「それから、ずっと見てた。いっつも人の輪の真ん中にいるくせに、淋しそうな顔してる紗都のこと」
 ところが、その言葉のラストを遮るように紗都は言葉を挟んだ。
「そこ落としどころですか。私には効きませんが」
 その時、自分の中に何の感情が生まれたのか。説明はできない。
 でも、もうどんなに言葉を繋いでも、紗都は聞かないだろうと思った。
 来いよ、と彼女の腕を掴み学校から連れ出した。

 気付いたら、自分の家に連れ込んでた。
 どうしよ…
「先輩。誘拐したら犯罪ですよ」
「分かってるよ。でも本気で誘拐したくなった」
 紗都が笑ってる。いつもと違う、本気の笑顔に見えた。
「しよっか、誘拐ごっこ。明日は休みだし、誰も私を捜したりしないもん」
 ふと泣いているのかと思った。
 紗都…
「俺の部屋、こっち」
 務めて明るく、声をかけた。

著作:紫草

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