大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/地上界11』
迦楼羅2〜発動〜

 此処は、狭間の郷。
 人に近く遠い場所。
 生まれ出でた、その瞬間の青い空を憶えている。と言ったら、馬鹿にされた。
 でも、おばあは褒めてくれる。
 よく頑張って生まれてきたと。
「夢枕に立たれた方が、お前にやる名をお決めになった。その名はお前を守り育てる」
 おばあはそう言った。だから迦楼羅は生きている。

 最初から、力を解っていたわけではない。
 母親の目が、それを呼び起こした。
 父を失った母が、露智迦に恋心をもったことを責める心算はない。
 ただ、おばあが見落とした。郷のみんなも思っていた。
 ちゃんと子供を育てていると。
 まさか娘に嫉妬の目を、向けているとは思わなかった。
 父親のいない迦楼羅には露智迦は父であり、兄のような存在だった。
 生まれて初めて認識した人という形の者で、力を持つ者で、そして愛してくれる者だ。
 母の視線に気付いたのは、生まれて五年ほど経った頃だ。

「お前など産まなければよかった」
 小さな言葉の羅列だった。
 しかし、そこに含まれる感情の大きさに迦楼羅の心は打ちのめされた。
 母は何を言ったのか。
 じっと見つめた迦楼羅の目に、嫉妬の鬼となった母の形の者が視得た。
 恐怖と絶叫は隣に住む露智迦にも届く。
 何事かと飛び込んできた露智迦が見たのは、母の腕に抱かれた迦楼羅の姿だった。
「悪い夢でも見たようなの」
 母は露智迦が来たことを素直に喜んでいる。
 腕の中にいる迦楼羅には、その華やかな恋心を理解するには幼すぎた。

「迦楼羅。こっちに来るか」
 腕から逃れるように、露智迦に向かって行こうとするのを母が止めた。
「どうして迦楼羅だけ…」
「深い意味はない。俺が迦楼羅と一緒にいたいと思っただけだ」
 再び憎悪の感情が流れ込んでくる。頭の奥が茹だるように熱くなった。
 どろどろとした女の想い。嫉妬。憎しみ。そして歪んだ愛情。
「迦楼羅。おいで」
 その声に縋りたくて、母の腕を振り払う。
 露智迦の胸に飛び込んだ時、母の心の声がした。
 お前なんか許さない、と。
 露智迦の温もりに、泣きそうになるのを必死に堪えながら抱きついていた。

「迦楼羅。もう少ししたら俺と暮らすか。きっと、おばあもいいって言ってくれるよ」
 隣では母が聞き耳を立てている。
「もう恐くない。だから安心して眠れ」
 本当に?
 そんな思いで彼を見る。
「何があっても、俺が守ってやるから」
 その言葉に、どんな意味があるのか。幼い迦楼羅にはよく分かってはいなかった。
 でも露智迦の腕の中は心地いい。初めて感じた人の感情にも、露智迦は気付いていた。
「大丈夫。人の思いを止められるように、ちゃんと教えてやる」
 その言葉に驚いた。思わず、目を見開いて凝視する。
「俺もわかる、色々なモノが。だから恐がるな。俺たちは同じだ」
 同じという言葉に勇気を貰ったような気がした。
「迦楼羅。ちゃんと話をしろ。口を閉ざすな。俺はお前の声が好きだ」
 好き…
 更に力を込めて抱き締められる。その行為に、母とは違う好意を感じる。
「露智迦は、父様じゃないの」
「違う。俺はいつか… 否、父様よりももっと大好きだ」
 俺のものにする、という言葉を飲み込んだ露智迦の感情は、ベールがかかっているように視得てはこなかった。
 これが教えてくれるということかもしれない、と思いつつ、安心しながら眠りについた。
「結構、残酷かも。でもいつまで待てばいいのかなぁ」

 腕の中に眠る迦楼羅。
 力が発動したのは間違いない。
「火を操る者だと知ったら、迦楼羅は郷を焼き尽くすだろうか」
 四神の南を治める者。現在、此処に朱雀はいるのか。
 迦楼羅の力に寄せられて、魑魅魍魎が集まっている。
 露智迦は迦楼羅の眠りを妨げぬよう、一払いして退けた。
「朱雀… 伽耶に聞くか」
 そう感情を静めて、露智迦は伽耶に言葉を飛ばした。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


 
inserted by FC2 system