大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
此処は、狭間の郷。
人に近く遠い場所。
生まれ出でた、その瞬間の青い空を憶えている。と言ったら、馬鹿にされた。
でも、おばあは褒めてくれる。
よく頑張って生まれてきたと。
「夢枕に立たれた方が、お前にやる名をお決めになった。その名はお前を守り育てる」
おばあはそう言った。だから迦楼羅は生きている。
最初から、力を解っていたわけではない。
母親の目が、それを呼び起こした。
父を失った母が、露智迦に恋心をもったことを責める心算はない。
ただ、おばあが見落とした。郷のみんなも思っていた。
ちゃんと子供を育てていると。
まさか娘に嫉妬の目を、向けているとは思わなかった。
父親のいない迦楼羅には露智迦は父であり、兄のような存在だった。
生まれて初めて認識した人という形の者で、力を持つ者で、そして愛してくれる者だ。
母の視線に気付いたのは、生まれて五年ほど経った頃だ。
「お前など産まなければよかった」
小さな言葉の羅列だった。
しかし、そこに含まれる感情の大きさに迦楼羅の心は打ちのめされた。
母は何を言ったのか。
じっと見つめた迦楼羅の目に、嫉妬の鬼となった母の形の者が視得た。
恐怖と絶叫は隣に住む露智迦にも届く。
何事かと飛び込んできた露智迦が見たのは、母の腕に抱かれた迦楼羅の姿だった。
「悪い夢でも見たようなの」
母は露智迦が来たことを素直に喜んでいる。
腕の中にいる迦楼羅には、その華やかな恋心を理解するには幼すぎた。
「迦楼羅。こっちに来るか」
腕から逃れるように、露智迦に向かって行こうとするのを母が止めた。
「どうして迦楼羅だけ…」
「深い意味はない。俺が迦楼羅と一緒にいたいと思っただけだ」
再び憎悪の感情が流れ込んでくる。頭の奥が茹だるように熱くなった。
どろどろとした女の想い。嫉妬。憎しみ。そして歪んだ愛情。
「迦楼羅。おいで」
その声に縋りたくて、母の腕を振り払う。
露智迦の胸に飛び込んだ時、母の心の声がした。
お前なんか許さない、と。
露智迦の温もりに、泣きそうになるのを必死に堪えながら抱きついていた。
「迦楼羅。もう少ししたら俺と暮らすか。きっと、おばあもいいって言ってくれるよ」
隣では母が聞き耳を立てている。
「もう恐くない。だから安心して眠れ」
本当に?
そんな思いで彼を見る。
「何があっても、俺が守ってやるから」
その言葉に、どんな意味があるのか。幼い迦楼羅にはよく分かってはいなかった。
でも露智迦の腕の中は心地いい。初めて感じた人の感情にも、露智迦は気付いていた。
「大丈夫。人の思いを止められるように、ちゃんと教えてやる」
その言葉に驚いた。思わず、目を見開いて凝視する。
「俺もわかる、色々なモノが。だから恐がるな。俺たちは同じだ」
同じという言葉に勇気を貰ったような気がした。
「迦楼羅。ちゃんと話をしろ。口を閉ざすな。俺はお前の声が好きだ」
好き…
更に力を込めて抱き締められる。その行為に、母とは違う好意を感じる。
「露智迦は、父様じゃないの」
「違う。俺はいつか… 否、父様よりももっと大好きだ」
俺のものにする、という言葉を飲み込んだ露智迦の感情は、ベールがかかっているように視得てはこなかった。
これが教えてくれるということかもしれない、と思いつつ、安心しながら眠りについた。
「結構、残酷かも。でもいつまで待てばいいのかなぁ」
腕の中に眠る迦楼羅。
力が発動したのは間違いない。
「火を操る者だと知ったら、迦楼羅は郷を焼き尽くすだろうか」
四神の南を治める者。現在、此処に朱雀はいるのか。
迦楼羅の力に寄せられて、魑魅魍魎が集まっている。
露智迦は迦楼羅の眠りを妨げぬよう、一払いして退けた。
「朱雀… 伽耶に聞くか」
そう感情を静めて、露智迦は伽耶に言葉を飛ばした。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】