大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
「あれがリューシャンの生まれ変わりか」
最后という約束で、サクジンは地上界に下りてきていた。
あの女は器だったのだろうか。何故、天の仔を孕むことができたのか。
今更、そんなことはどうでもいいか。
迦楼羅は無事産まれ、そして生きている。
先程、山奥にある滝にザキーレを見た。
しかし彼奴は何も知らぬ顔をして通り過ぎて行った。
アニヨンが何故、ザキーレを地上に送ったのかは分からない。
でもあの姿を見ると、何か抜き差しならぬ事情はあったと思える。
「サクジン…か!?」
伽耶か。
「時間の流れが狂っているのだろうな。リューシャンがあの後どうなったのかと心配になってな。天帝に無理を言って下りてきた」
二人は滝の畔にある畦に座り込んだ。
「金の海に落ちて、その後どうなるかなど誰も知らぬこと。俺だって無事に抜けて、地上界に下りた時は心底驚いたんだ」
伽耶の言葉は真実だろう。
「その上、リューシャンの手を取ったことは憶えているのに、下り着いた時は独りだったしな」
まさか、その後で人の子として生まれるとは思いもしなかった、と伽耶は言う。
それこそあの金の海は、天人も龍族も手出しのできぬ何者かが支配している場所なのだろう。
今も金の海は静かに天界に横たわっている。
「ザキーレはどうしたのだ」
「記憶が全て戻っていない。特にリューシャンのことに関わると、まだ半分以下だ」
「天界や、それ以前のことは」
「天界のことは憶えている。ただ出自は思い出してはいないだろう」
それでか。
「伽耶。俺は再び要の部屋を作る。そこに身を沈めるつもりだ」
驚く伽耶にサクジンは言葉を続けた。
「お前は人に育てられた子だ。だからこそ名が違う。でも確かに天界の仔だということを忘れるなよ」
「そんなに危ういのか」
「この地上界も同じようなものだろう。それぞれに安定を必要としている。玄武の力が要になる場所ならそれでいい。しかし天界にはそれがない」
「要にいた女は、どうなった」
「さあな。俺は詳しくは知らない。ただ、今はもう天界にいないことは確かだな」
サクジンは空を見上げた。
そこには地上界が育む緑の木々を包むような空がある。
天界の作られた一面の青とはやはり違うと感じた。
「迦楼羅の名は誰がつけた」
「おばあが、神が夢枕に立って授けられたと聞いているが」
そうか、とサクジンが感慨深げに呟いた。
「俺は迦楼羅には会えない。ザキーレが、もし俺を思い出したら伝えてくれ。迦楼羅を頼むと。ザキーレにとって特別だということは知っている。でも俺にとっても我が仔だ」
伽耶は承知したと言い、二人は抱き合った。
「本当に誰にも会わずに上るのか」
「あゝ」
「天帝に命令されたのでなければ身を沈めるのではなく、補佐してくれ。あの人の周りには信頼する者が減っている。サクジンだけでも一緒にいて守ってくれ」
それには答えず、じゃあなと彼は去った。滝に向かって歩いてゆくサクジンの後姿を、伽耶は真っ直ぐに見つめていた。
最后に一度だけ振り返り、
「伽耶。皆を頼む」
とだけ残し、サクジンは消えた。
郷に帰る伽耶は、結局誰にもサクジンのことは告げなかった。
いつか、ザキーレ…露智迦にサクジンの記憶が戻るまで自分の胸の中だけに留めようと決心するのだった。
そして、数年後――。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】