大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/天界18』
浮島6/ヴィシュヌ2〜謝肉祭〜

 島には様々な果実が稔る。
 その種の多くは人が運ぶものである。
 ある時、その瞳の青い者がひとつの種を持ち込んだ。
 言葉の通じぬ彼女は、手振り身振りでこの種が夏に花を咲かすと伝え、リューシャンとザキーレは夏の林の一区画、この種を蒔くことにした。

 どんな種類の実をつけるのか。
 匂いや葉の形状でだいたいは分かるという白虎様が、何故かこの種については何も云われない。
 ザキーレと二人で、どんな実をつけるのか楽しみに季節を過ごした。
 ある日、その木に赤い綺麗な花が咲いた。
 皆でどんな実をつけるのか楽しみに待ったが、その秋、木々に実りはなかった。

 種を持ち込んだ女仙が、少しずつ言葉を覚え話しが可能になると、この木の名前が“柘榴”ということが判った。
 次の夏、再び赤い花をつけた柘榴の木に幾本かの花粉を運んでみた。
 すると暫くして受粉したことがわかった。
 しかし秋が近づき、その形が顕わになると、誰もがその手を引きこめた――。

柘榴 「これが実…か」
 流石のザキーレも、少し声が上ずっている。
「だろうな。このままかと思いきや遂に弾けたのだから、この中に見える赤い小さな部分が実になるのだろう」
 リューシャンも驚きつつ、誰も捥ぐことのない柘榴に手を差し伸べた。

≪地上界に幾つかの神話を聴いたことがあるぞ…≫
 桃の実の季節が終わると虎の姿に戻るのが常なのに、珍しく白虎様が人型に変化した。
 神話…
 人の星には、少しずつ言葉や瞳の色、髪の色が違う者が住んでいることが判った。
「その神話とやらも、人が自分の都合に合わせた御伽話のようなものではないのか」
 ザキーレと古くからいる仙人が、話し顔を見合わせている。
「真実など知らぬ。我は只、聴いたことがあると云ったまでだ」
「白虎様。どんな神話なのでしょう」
 リューシャンの言葉に、白虎は嬉しそうに話を始めた――。

 釈迦という者が、子供を喰らう鬼神であった可梨帝母という者に柘榴の実を与え、その後は人肉を食べぬように諭し、以後、その者は鬼子母神として子育ての神になったとか。
 また別の国の神話では、冥王ハーデスに攫われたペルセフォネという者がザクロを口にしたことで一年のうち一定期間を冥界で過すこととなり、母親であるデメテルはその間嘆き悲しむことで冬という季節が生まれたとか。
「冬…」
≪聞いたことがあるだろう。人の世には、空から雨や雪が降ると。雪とは冬に降るものだ≫
「ヴィシュヌ様!」
 その声に振り向くと、彼が立ち姿のまま浮いている。
 リューシャンは抱きつくように、彼の体に向かって飛びついた。
≪こんなことをしてザキは妬いたりせぬのか?≫
 ゆっくり地上に下りてきて、皆の輪に入るようにヴィシュヌも座り込む。
「妬く…とは何だ」
 リューシャンのその言葉に、ヴィシュヌは頷く。
 まだ感情というものが完成していないのだな。だからこそ、この子が透明な心のままそこに在る。
≪気にするな。知らぬ方が我も楽しい。お前が抱きついてきてくれるからな≫
 ザキーレに少しだけ視線を送り、ヴィシュヌは笑った。
「ヴィシュヌ様。この柘榴という実、食べてもよいものですか」
≪勿論。どんな神話が生まれようと、果実に罪はない。何なら次の収穫祭に出してやればいいだろう≫
「はい」
 相変わらず素直な返事だな。ヴィシュヌと白虎は含み笑いの中に、同じことを思っていた。

 年に二度、浮島か宮殿、また下の集落にて収穫祭が開かれる。
 この後、浮島での収穫祭を“謝肉祭”と呼ぶようになったのは、誰の云い出したことであったろう――。

≪リューシャン。もし昔のお前を知る者がお前とザキを捜していると分かったら、どうする≫
 突然とも思えるヴィシュヌの言葉に、リューシャンは怪訝な顔をして見せた。
「誰が捜すというのだ。私は上を追われた身なのに」
≪それでも、お前を捜す者が現れるかもしれぬ。この島ではなく、遠く離れた星の果てでも≫
「その星とやらはヴィシュヌ様のおられる処ですか」
 彼女の言葉に、ヴィシュヌは高らかに笑った。
 そんなに変なことでも言っただろうか…
≪面白いことを言う。ただ覚えておけ。もしもお前を捜すものが現れてもお前は分からない。だから、その時はザキの言うことに従え≫
 リューシャンの表情は返事に困ったまま、苦笑いを浮かべるだけだ。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


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