大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/地上界24』
迦楼羅10〜結界〜

「ちょっと待った。ここって、ここ川じゃない」
 迦楼羅の声が一際大きく響いた。

 それは迦楼羅が朱雀の許しをもらい、火を使うことになって最初の仕事だった。
「そんなに驚くことか」
 露智迦が呑気な口調で答えてくる。
「私に結界を張るための、結界点を治めろと言った。そうだな」
 露智迦は黙って頷いた。
「私は火の者だ。その筈だが違うか」
 今更何を言い出すんだと、彼が笑う。
「なら冗談じゃない。断わる。川の中の結果点など、どれほどの力を使うか分かるだろう」
 背を向け歩き出したところに、露智迦が声を掛ける。
「逃げるのか」
 と…。

 何…
 思わず振り返った。
「お前なら難しいことじゃない。火を操るといっても、龍だろ。龍は水を恐がらない」
 そう言って彼は微笑んだ。
 その笑顔はずるいよ、露智迦。
「洗濯をする川だ。恐いと思っているわけじゃない。もし結界点に人が巻き込まれたら、その場所を決めた私の責任だから」
 川岸まで戻ってくると、露智迦が抱き締めてくれた。
「もし異変があれば、水を通して川が教えてくれる。俺がそれを利くから」

 どういう意味…
「この川の源流は聖水だ。この川は俺の支配下にあるのと同じ」
「だったら自分でやったら」
「だからこそ、お前がやるんだ。もし俺に何かがあったら、川から水が溢れる」
 衝撃だった。
 何かある…
 露智迦に何かがあったら…
 川が溢れる…
「洪水が起こると水は町に流れる、ということか」
 静かに頷く露智迦に、迦楼羅は従うしかなかった――。

 躰が火を感じる。
 瞳にも真っ赤になった焔を感じる。
 普段、人の型をとっているという感覚はない。自分は人間だから。
 それでも火を操ることができる。だからといって何かに化けることはできない。
 躰から熱いものを感じていると、その影が龍の形をとって焔が上がっているのが見えた。

「迦楼羅」
 露智迦に呼ばれ川を視る。
 いつもは静かな流れの中にある川の一点が、渦を巻いてうねっているのが水底に視得る。
 迦楼羅は火の点いた躰のまま、川に入る。
 掌に火の種を籠め、渦の中心を鎮めた――。

「この前に家を建てる。誰も住まない家、伽耶に任せておけばいい。結界は川の奥から山へ向かって張る」
 迦楼羅はそれだけ言うと水から上がった。
 露智迦が迦楼羅の躰を支え、自らの家に戻ってきた。
「よく頑張ったな。ゆっくり眠れ。でも寝すぎるなよ」
 そう言う露智迦に弱々しい笑みを見せ、迦楼羅は深い眠りに落ちた――。
 初めての結界、なのに露智迦は一番大事で大きな結界を迦楼羅に張らせた。
 この先、どんな困難に向かい合っても一人でやってゆけるように…。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


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