大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/地上界27』
伽耶3〜天界の滝〜

 伽耶がこの郷へやって来たのは、小角の処での仕事を一通り覚え、天界へと連れて往かれ、更に地上へと戻されて暫く経った頃のことだった。
 その頃の伽耶は人に対して臆病になっている部分もあり、表面の笑顔と裏側に秘めるものが違うのだ、と誰もが感じてしまっていた。
 その優しい風貌から多くの女たちは伽耶の近くに群がったが、伽耶の気持ちを独り占めすることはできず、いつしか“誰のものにもならない伽耶”が暗黙の了解として風聞した。

 そんな伽耶に当時の長は周辺の村々、町、そして天からの連絡係りの立場を与えた。
 見知らぬ村へ行き、そこに住む人たちの暮らしを知る。警戒心を解き、内情を探り、人の時間の中からはみ出してしまう者を見つけるよう命じたのだ。
 一年に数回訪れる村、数年に一度訪れる村、更には向こうから便りを寄せてくる村。
 こういう暮らしの中で伽耶は少しずつ本来の人懐っこい、昔の彼に戻っていった――。

 郷の裏山の奥深く、誰にも知られてはならぬという小さな滝と滝壺と畔があった。
 人ではなく天人だと言われた伽耶には、此処に“何か”が届くとそれを察知することができた。
 とある日。
 天帝からの直接の呼び出しに、戸惑いながらも滝壺に足を入れる。
 向こうで呼ばれているのだから当然なのかもしれないが、一瞬のうちに天帝の宮殿の奥にある小さな部屋へと跳ばされると、自分の存在意義を見失いそうになる。
 滝の中から現れた筈なのに、全く濡れていないことに思わず笑ってしまった。
 誰もが往き来はできないと聞いたのに、どうやら自分は違うらしい。
 誰もいないその部屋で、伽耶は何もすることなく誰かが来るのを待っていた…。

 暫くして現れたのは天帝ではなく、郷に暮らすサクジンだった。
「え… どうして此処にいるんですか」
「俺も、基はこちら側だ」
 サクジンはそう言って、伽耶を外へと連れ出した。
 少し前まで暮らしていた場所なのに、外つ国にでも来た気分だ。
 ふと顔を上げると、そこに雲のかかった月が見える。
 浮島だ。
 リューシャンが棲むと決めた場所。そこだけが、とても懐かしい場所に思えた。
(でも一度も行ったことないけど)
 思わず笑みのこぼれてしまう自分に驚いた。
 あいつって、特別なのかも…。

 天界で与えられる土地は天帝が決める。
 普通の天人とは違う末路を歩む予定だった。その自分が突然呼ばれた時も「この負の土地の管理を頼む」と頭を下げられ、ひどく驚いた。天帝が土地を与えるのに、頭を下げるような人だとは聞いていなかったから。
 ただ後になって、頭を下げられてもおかしくない場所であることを知った。
 天界の均衡を保つ為に存在する、宙への入り口を抱える負の土地。確かに知っていたら、やめてくれと言ったかもしれない。
 しかし何も知らなかったのだから黙って受け取った、目一杯後悔したけれど。

 サクジンは浮島の手前にある雲のかかった場所まで連れてくると、足を止める。
「上へ行ってこい。彼女が待っている」
 それは初めて浮島へ行ってもいいということか、と聞こうとしたが、その時には隣にサクジンはいなかった。
 どうしたらいいのかも分からず、その雲のなかにいるとザキーレが龍型で現れた――。

 遊びに行った気分、とでも言うべきか。
 楽しく飲み食いし話し合い、ついでに果樹林の手伝いをさせられて地上へ還ってきた。

 思えば、あの負の土地が気に入ったのはリューシャンのお蔭だったのかもしれない。天界へやって来たばかりの頃のリューシャンを暫し思い出し、伽耶は楽しい気分になった。
 上に往けば、また彼女に会えるかもしれない。ならば天帝の云うことも少しは素直に聞いてやろう、と伽耶は一人ほくそ笑むのだった。
 そのリューシャンやザキーレと、再び同じ土地で暮らすことになろうとは、この時の伽耶には思いもよらぬことだった。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


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