大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
漆黒の闇。
闇から闇へと動く影――。
「いったい、どうなってる」
金の海を監視している役人から、怪しい男が浮島へ登ったと連絡が入ってから、かれこれ一月ほど経っていた。
浮島からの情報はもらえない。
それはエレもヤゲンも承知の上だ。
だからこそ自らの領地を越え、調べることにしたのだ。
ヤゲンが聞く。
「天帝は、あれから何も云ってこないんだな」
それに対し、あゝと答える。
エレは、空間を渉る舩が金の海に浮かんだことを、天帝に知らせた時のことを思い出していた。
驚いたような、悲しんだような、何とも表現のしがたい表情を浮かべ「そうか」とだけ云うと、天帝は奥の部屋へと入っていった。
以後、天帝は出てこない。
何の指示もなく、とにかく入り込んだという、その男を捕らえようと捜索するものの、どういうわけか忽然と姿を消してしまったまま、その男の消息は杳としてしれなかった。
浮島へ登ったまま、まだそこにいるのかもしれない。
ただ、浮島の近くには集落がない。
確実な情報が集まらないまま、時間だけが過ぎてゆく。
「掟を破る。もう待てない」
エレの言葉には、切羽詰ったものがある。
「浮島へ往くには一角獣に遇わねばならない。どこへ行けば遇えるのかも分からず、どうする心算だ」
「リューシャンの名を使う。卑怯な手だが、それしかない。天帝をこれ以上、放っておけない」
ヤゲンも、確かにそれしかないと思った。
これ以上待てないという思いは、他の役人も同じだろう。
二人は浮島の姿を捉えるほどの距離にある、一つの森へとやって来た。
一番近い集落ですら、ここからはかなりの距離だ。
月に見えるが月でない浮島では、月明かりというものがない。
森は闇に包まれ、木々は其々が意志を持っているかのように、エレ達の行方を妨げる。
「堂々巡りしているな」
そのエレの言葉にヤゲンも頷くしかない。
「仕方ない。朝を待とう」
エレの提案を受け、一際大きな樹木の下に座り込む。
「明日、浮島への知らせを偽装する。機会は一回きりだ。その後の処罰については言うことはない。ヤゲンは戻った方がいい」
「今更、遅い。つきあうさ」
そう言うと、明日も早いからとヤゲンはさっさと眠ってしまった。
エレは、森の気配に耳を澄ました。
誰かがいる。
闇の中、身を潜めている。
それが捜す男なのか否かは分からない。ただ、この森に住む者がいるとは思えなかった。
ヤゲンがすっかり寝入ったことを確認すると、エレはその場を離れた。
暫く歩いて、やはり誰かの気配を感じる。それも一人ではない。
無駄だと思いつつ、呼びかけた。
「舩を降りた者を捜している。そこにいるのは、天上界から来た者か」
沈黙はたっぷりとあった。
しかしエレは、その場を離れなかった。そして遂に、声が届く。
≪ワタシが舩を連れてきた。しかし姿を見せることはしない。天界に何かをする心算はない。ワタシはこのまま舩を沈め地上界へ下りる心算だ。黙って往かせてくれないか≫
頭に届いた言葉に、エレは何かを感じ取った。
「天帝とは会わないというのか」
≪必要がない≫
「何故、舩を沈める。今後の舩はどうなる」
≪天上界からの舩は、もう二度と来ない。天帝にそう伝えてくれ≫
舩がない。
流石のエレも言葉を失った。
「どういう意味だろう」
≪言葉通りだ。天上界は今後、天界との往き来をしない。ワタシは河渡りの者、それ以上のことは分からない≫
エレは納得した。
何故だか、そんな気にさせられた。
「一つだけ聞いてもいいだろうか」
≪何だ≫
「何故、今日まで誰にも見つからずにいられたんだ」
それはエレの純粋な疑問だった。
暫しの沈黙のあと、声が届いた。
≪人型をとっている時は気配を消し、本来の姿は仮面に封印してある。お前の前に出たとしても、真実の姿を見ることはできない。だから報告も出来ないだろう≫
仮面…
そういえば、仮面で顔を隠す男がいると報告があった。
あれは何処の集落からのものだっただろうか。
しかし、そこを誰も調べようともしなかった。
≪それは仕方がないな。白虎様のお力を拝借している故≫
エレは漸く合点がいった、というように頷いた。
「天界に害を及ぼす気がないのなら、それでいい。とっとと去れ」
気配は、闇の中に再び消えた。
そして、もう二度と遭遇することはないであろうと思われた。
今後、天上界からの舩はない。
天帝への報告に、早くも溜め息と共に頭を抱えるエレであった。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】