大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/天界20』
仮面の男1〜浮島7〜

 見えぬ海を監視する位置に、小屋のような場所がある。
 ジュラは舩を降りる前に、小屋の中にいる彼らを確認した。

 金の海に舩が碇泊したところで、監視の天人には何も見えてはいない。
 それは海全体を覆う、大きな蔽いのような結界があるからだ。
 それでも何も見えぬ空間を、監視するのが役目なのだろう。交代要員を含め三人の男たちが、小屋の中で寛ぐ姿が透けて視得た。

(さて、いつ頃気付くだろうな)
 仮面をつけた顔。頭をすっぽりと覆ってしまう、フードの付いたコートを羽織る。
 舩を降り海に頭を下げた後、ジュラはそこを離れ歩き出した。
 行く先は浮く島。西の方角の、あの月のように見える雲の先にきっと島はある。
 伏し目がちに月へと向かう。
 歩いてゆくと風が起こる。それは海の覆う結界から外に出たことを意味するのだろう。
 ゆったりと歩く姿は、風にコートが翻り一枚の絵のように美しい。
 暫く歩いていると漸く小屋の中の男が一人、ジュラの姿に気がついた。

 他の男たちに告げている。
 真っ直ぐに西を目指すことで、男たちの意見が割れているようだった。
 しかし、ともかく引きとめようと小屋を出たきたのが分かる。
(どうしたものか)
 姿を変えるか。
 それとも記憶のない振りでもするか。
 ただ、そのどちらをしても多分、天帝の側近の許に連れて行かれるだろう。
 できればそれは避けたかった。天人に聞くことなどないからだ。それなのに逆に、あれこれ聞かれるのはもっと避けたい。
 逡巡しながらも歩みを止めることはなく、役人たちはジュラに追いつくことはない。
(飛ぶか)
 そう思う自分に、ふと苦笑いが浮かんだ。
 龍族だなどと思ったことなど一度もなかったのに、今の自分は龍型をとることに一瞬の躊躇いもなかった。
 その時だった。
 目の前に、綺麗な一角の麒麟が現れた。

≪我に乗るがよい≫
 麒麟の姿に、役人たちの足が止まった。
 ジュラは何も考えず、彼の背に跨った――。
 彼は、何も語ることなくジュラを浮島へと運んでくれた。

≪よく来たな≫
 竹で造った門には結界が張ってある。その陰から一頭の白虎が現れた。
「ワタシが見えますか」
≪上の玄武より知らせが来ておる。天上界を捨てたそうだな≫
「いえ。ワタシは元々天上界の者ではありません」
 ジュラは白虎が微かに笑っているように感じた。
≪来るがいい。リューシャンとザキーレの家がある≫
 どうやら、白虎は何もかも知っているようだ。
「あの麒麟は?」
≪あやつは一角獣と呼ばれている。下との橋渡しをするだけで島には上がらぬ。云うなれば門番だな≫

 ジュラは白虎と共に、リューシャンとザキーレが暮らしたという家に入った。
 残像どころか、幻影すらなかった。
≪二人はもう天界にはおらぬ。地上界へ送られた。もし二人にどうしても会いたいと思うなら、人界に下りねばならぬ≫
「人界…」
≪地上界で二人が生きているのは、人の中だ。それが分かるか≫
 龍族の中には、地上界との往き来がある。難しいようには思えない。
 それなのに何故、白虎はこんな話をするのだろう。

「二人を捜しだし、長に伝えます」
 龍族は水鏡があるからな、と云ったところで彼が突然人型をとった。
「人の姿は便利だが、お前のような人などおらぬ。もっと気配を消せ」
 白虎はそう云ったかと思うと、実際空気が薄くなるように気配がなくなった。
≪天帝の滝は使えぬぞ。彼奴の周りには今、役人がへばりついている。金の海へ向かえ。お前なら往けるだろう≫
 何かを話す必要はなかったようだ。
「有難う存じます。最期の舩を海に沈め、その後、地上界へと下ります」
 そこで白虎に向かい、少しだけ笑ってみせ、
「気配は必ず消してみせましょう」
 白虎もそれを聞き、大きく笑った。
≪その仮面に、お前の真実の姿を封印してやろう。無事に海へ着くことを祈ってやる≫
 虎の姿に戻った彼が、そう云って風を起こした。

 島を下り海までは一人だ。簡単に辿り着ける距離ではない。
 怪しい態度を取れば、捕まるだろう。
 天人の心の隙間に入り込み、ジュラは時間をかけ天界の集落と人々を掌握していった――。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


 
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