大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
空間の河を越え、金の海へと招き入れられた。
まさか、この海に舩を沈めることになろうとは…
ジュラは海の中で舩が停まったことを確認すると、海そのものに意志を伝えた。
天上界のこと。
リューシャンとザキーレのこと。
そして舩の行く末のこと。
海は静かなままだった。
そしてジュラは覚悟を決めた。
舩を一旦降り、浮島へと出向く。その話次第では、この地の青龍に会う必要はなくなるだろう。
海の結界の中、舩は主を失いどうなるのだろうかと思いを馳せる。
しかし如何に考えようと、舩を離れなければならない。
上を離れた段階で、舩のことは諦めていたのだ。もう二度と、その姿を見ることがなくとも気持ちは変わらない。
ジュラは思いの全てを海に伝えた。
そして仮面を取り、顔に着ける。
美しい、女と見紛うまでの顔が隠された。
目眩ましとして、いつまでもつかは疑問でも何もないよりはマシだろう。
彼は気持ちを切り替え、舩を降りるため外へ出た。
そこには光り輝く黄金の大海原が広がっている――。
ジュラが舩を降りようと歩き出すと、そこに橋が現れた。
何処と何処を繋いでいるのか、全く見えない短い橋。それでも躊躇なく、そこに足を下ろす。
すると橋は陸へ向かって少しだけ伸びた。
一歩。
ジュラが歩を進めると、再び橋が伸びる。
また一歩。
また橋が伸びる。
暫くして、舩からの橋が消えていることに気付いた。
これも海の意志だろうか…
陸に着くと橋は完全に姿を消した。
舩だけが、静かに碇泊しているように見えた――。
ジュラが再び金の海へ戻ってきたのは、3箇月ほど経ってからだった。
浮島へ登り、人々の間を抜け漸く辿り着いた。人の記憶に残らぬように、そして姿を見られぬように気を配り気配を消すという訓練をしていた。
だからこそ舩のことは、もう諦めていた。主を失う舩が朽ちるのは早いと聞いたことがあったから。
しかし舩は、そこに在った。
自分に感情などというものは無い筈なのに、思わず何とも言えない感情が湧きあがった。
≪金の海殿。こんなに長く舩を預けてしまい申し訳ありません。これで本当に最期です。ワタシは、この海に舩と共に沈みます。もし運がよければ、地上界に下りられるでしょう≫
リューシャンに会う。
ザキーレに会う。
その望みと、金の海を抜けることは全く異なことだ。
物事には何か強い望みがある方が、いい時もあるという。
しかし、この海に関しては違うという気がする。
生き物全てが関わるべきではない、特別な意思が感じられるから。
ジュラが海へ向かうと、いつか見た橋が再び現れた。
海が彼を、自分の舩へと導いてくれるらしい。
天人にも見えぬ舩。
業火にも似た炎は、果たして彼らに見えるのだろうか…
舩に乗り込み、ジュラはいつもの場所に腰を下ろす。使い慣れた棹を手に取ると、それを真っ二つに折った。
そして、かつて一度だけ見たシヴァの姿を思い浮かべる。
≪シヴァ様。リューシャンの為に、この舩を焼き尽くして下さい≫
刹那、舩は業火に覆われた。
天界の者たちが、舩の原型を見ることができたのは、最期の一瞬だけだったかもしれない。
そして舩は瞬く間に海に沈み、ジュラの消息は誰にも分からなかった。否、ジュラという存在自体が誰の記憶にも残っていなかった。
いつか暗闇の森で遭遇した、綺麗な気を発する男を除いては…。
舩を呑み込んだ金の海は、何事もなかったかのようにいつもと同じようにそこに在る――。
“河渡りの者”という役目をもった男は、この世の何処からもその姿を消したのだった。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】