大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/地上界35』
仮面の男10〜黄竜4〜

「もう戻ってこないかと思っていた」
≪此処は居心地がいい。それに…≫
 黄竜の姿から人型を取り、サラが舞い降りた。
≪お前が、サラって呼んでくれるって云うから≫
 そう云いながら、まるで本物の人のようにサラが人懐っこく笑った。

 いったい何年もの間、たった独りで生きてきたのだろう。
 龍族の流れを持ち人として産まれた迦楼羅に、この空間を与えた。
 それに意味があるとしたら、友が欲しかった。それだけのような気がする。
「サラ。お前を最后にサラと呼んだのは誰だったんだ」
≪長だよ、龍族の先代の長≫
「俺は、お前の友かな」
≪勿論! ジュラだけじゃない。今は迦楼羅も露智迦も。皆、大切な友だ≫
 その姿を見て、何となく判ったことがある。

 何故、自分が黄竜に向いていると云われるのか。
 四神の中央にあり、本来、人と交わってゆくわけではない。
 しかし、その四神相応の場所に住むは人であり、獣であり、そして自身である。
 自分の役目を全うできてしまう強い竜では、はみ出すことはないだろう。その代わり、黄竜として永い時を人界の中に生きることは出来ない。
 関わらないのではない。
 関わってはならない人と、関わらないことで存在を示す。
 龍族は、もとより長命である。その龍族より選ばれし“竜”は殆んど永遠に近い時を生きる。

「俺を次の黄竜にすると云ったな。この日の本にはサラがいる。俺を何処へ配す心算だ」
 サラがジュラを見つめ、結界内に痛いくらい空気が張り詰めている。
≪迦楼羅と離れられるのか≫
「それが償う罪に対する役目なのだろう」
 サラが、参ったなと頭を掻いた。そして顔を上げると、はっきりと云った。
≪天へ≫
 と。

 天!?
 天界でもなく、天上界でもなく、天…
≪昇れば彼が待っている。きっと一瞬の後には決められた場所に居ることだろう≫
「彼とは、ヴィシュヌ神か」
≪いいや≫
 サラは首を振りながら、否定する。
「では、誰だ」
≪行けば判る。初めて遭う方になるだろう。でも彼は全てを知っている。この世の全てを、ただ視ている≫
 サラは悲しそうな目をジュラに向けた。
 長く地上界に暮らした。たぶん、その居心地の良さが自分の中にあった憎しみを浄化させたのだろう。
「天帝はどうしている」
≪詳しくは知らない。ただ身近に置いていた者を全て失い、憔悴しきっていると聞いた≫
 一度は、憎しみの思いを向けた相手だ。
 でも今の迦楼羅と露智迦を見ると、天帝なりの精一杯の選択だったのかもしれないと思う。

「覚悟は決まった。あとはサラの気持ちが決まったら、俺を天へ送れ」
≪ジュラ…≫
 サラの瞳から逃れたくて、ジュラは舩へ入る。そして置いてある仮面を取った。
 白虎の封印のお蔭で助けられた。もう必要はなさそうだ。
 そう思って仮面を撫でていると、外で話し声がする。
「何だ、迦楼羅か」
 舩から覗くと、彼女は瞳にいっぱい涙を浮かべ立っていた。
 そうか。聞こえてしまったか…。
「今すぐにいなくなるわけじゃない。まだサラの方の決心がついてないから」
 舩を降り、迦楼羅の前に立つ。
「もう充分なんだ。欲望を持たない筈の我等からすれば、俺は随分好きなことをして暮らしたと思わないか」
 しがみ付く迦楼羅から、焔の種がこぼれ落ちる。
≪結界を焼くなよ。此処は未来永劫、我等の隠れ家なんだからな≫
 サラが迦楼羅の頭を撫でる。更にしがみ付いてくる彼女を、しっかりと覚えておきたくてジュラもまた彼女を抱きしめた。

 サラが、いつ決心するか。それはジュラにも判らない。
 ただ今の暮らしが記憶に残れば、ジュラは何処にいても生きてゆけると思う。
 やがて迦楼羅を離すと、ジュラは川の畔にある石を掴んだ。そして手にしていたあの仮面を、その石で叩き割った――。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


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