大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
閉じ込められた闇。
氷室のような空間。岩の中の空洞に、果てしない時を生きる――。
初めは、独りぼっちが淋しかっただけ。
流行り病で親を亡くし、頼る人が誰もいなかった。
寄ってくるのは、女を欲しがる男たちばかり。そんな人のものになるのは、絶対に嫌だった。
ふらふらと彷徨い歩いていると、一人の男に遇った。
この男に付いていこう。
それは本能的な直感だった。
男の名はサクジン。
女は、彼に落ちた。
付いて行った郷は、どことなく普通とは違っているように感じたものの、彼がいてくれたらそれで良かった。
サクジンは言った。
『どうなっても知らないぞ』
と。
それが何を意味するのか。女は理解できなかったし、やがて彼女は身ごもった。
長老もおばあも、その喜びようはない。
女も好いた男の赤子であると思えばこそ、初めて自分以外のものに気持ちが動いた。
少なくとも、サクジンは腹の子を労わる言葉を投げかけたから。
しかし、その倖せは長くは続かなかった。
ある日、突然。
サクジンはいなくなった。それについて、誰も何も教えてはくれなかった。勿論、サクジン本人さえも。
いつ帰ってくるのかと、彼女は待った。
でも、サクジンが帰ってくることは二度となかった。
暫くして郷に現れたのは、美しい男だった。
伽耶が、サクジンや自分とは旧知の仲だと言う。
女は毎日、男の世話を焼いた。
でも男は、いつも独りでいたがった。
山へ入ってゆく後姿を見送っては、帰ってきて欲しいと告げた。
サクジンを見送った時、それが最后とは思わず何も言わずに別れたことを後悔していたから。
いつしか、女はサクジンへの想いをそのまま男への想いに重ねるようになっていった。
ただ彼女にとって不幸だったのは、大きくなるお腹を見る周りの者が、まさか子供の父親以外の男を恋い慕うとは夢にも思っていなかったことだ。
長老も、心細いだろうからと男に話くらいは聞いてくれと言った。
伽耶も優しかった。
両手に男を侍らせ、気分のいい日々を送る。
サクジンが消えたことは悲しかったが、よく知らないことでは男と変わらない。否、今では余程、男の方を知っていた。
腹の子は産んだら、おばあに渡してしまえばいい。
そして自分は、男と一緒にいたいと願い出よう。
そうすれば、このまま郷に留まることもできる。子供を育てることもない。
女は思った。
『露智迦の子が欲しい』
と。
まさか、自分の産んだ子に露智迦を奪われるとは思わなかった。
憎らしかった。
悔しかった。
女として見てもらえないことに、憤りを感じた。
何より自分の手を振り解き、その足で迦楼羅を抱きにいったのだと知り、迦楼羅を殺してやりたいと思った。強く強く、思った。
露智迦は迦楼羅のものじゃないのに。迦楼羅がいなければ、自分の男になるのに。
気持ちが暴走した、と分かっている。
なのに何故、閉じ込める。
何の話も聞かず、露智迦の言葉も聞かず、自分だけを何故閉じ込める。
許さない。
閉じ込めた、おばあを許さない。
鍵をつけた長老を許さない。
何より、決して迦楼羅を許さない。
いつか必ず取り返す。
露智迦を自分の腕の中に…。
その思いが怨念となり氷室の時間を狂わせるなどとは、誰も知る由はなかった。
サクジンの子を身ごもった女だった。
もともと何かの血筋をもっていたのかもしれない。
人の寿命よりも遥かに長い時を、岩の空洞の時を止め、生き抜いた。
鍵が弱まったのを感じたのは、いつだったろう。
岩を砕き、外へ出て、その足で迦楼羅の許へ急いだ。
途中、誰かの家にあった刀を手に取り、走り抜ける。
『殺してやる』
長く閉じ込められた時の中に思っていたのは、それだけだった。
見つけた。
どんなに育っていようと、匂いで分かる。
女は自らの腹を痛めて産んだ子に、刀を振り上げた――。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】