大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/地上界40』
龍牙2〜仙〜

 迦楼羅が露智迦を失って、それから心を病んでしまったのを皆が知っていた。
 いつの間にか、いなくなる。
 でも何処かに行ってしまったとしても、暫くするとふらりと帰ってくる。帰った時は安堵するものの、いつか本当にいなくなってしまうのではないか、という危惧も抱いていた。
 伽耶が、露智迦のいない家には居ない方がいいだろうと言い、おばあが一緒に住んでいた。
 それでもおばあが気付くと、迦楼羅はいなくなっているという。
 気持ちの問題なのだろう。
 自分の意思ではなく、本能が何かを探しているのかもしれない。
 皆はただ見守るしかなく、待つしかなかった――。

 一年ほど、過ぎた頃のことだった。
 その迦楼羅が、ある日、微笑んでいるのを見た。
 おばあが、何かいいことでもあったのか、と聞くと彼女は頷く。
 珍しいこともあるものだと、何があったのだと聞いてみた。すると、
「仙界人に遇った」
 と言う。

 仙界人…
 悪い人でなければいいが、と思うものの、余りにも迦楼羅が楽しそうに笑うので云いそびれてしまう。
 こんな迦楼羅を見るのは、本当に久し振りだ。
「男の仙か」
「そう。木の上に居て、空と話をしているのだと話していた」
 おばあは、そんなに気に入ったのならと話す。
「気が向いたら、その仙を連れてくるといい」
 と。
 その言葉に、今度は迦楼羅が驚いた。
「普通の人でもない。はみ出しているわけでもない。まして仙の力を持つ者を連れて来たら…」
 そこで一度、言葉を切った。
「皆が恐がる」

 狂気と正気の狭間にあって、日々を送る。
 そんなになって尚、皆を心配する気持ちが残っているのか。
 おばあは胸が熱くなった。
「皆のことは気にせずともよい。お前のお蔭で守られている郷だ。迦楼羅が誰を連れてこようと、何も言わせぬ」
 長く話をしたせいか。
 迦楼羅は、また狂気の入り口に行ってしまったようだ。
「たった独りだと思うな。皆もまた、お前を守っているのだということを忘れるな」
 そんなおばあの言葉が迦楼羅に届いたのか否かは分からなかった。

 そんなことがあって後、暫くの間、迦楼羅は何処にも行くことはなかった。
 皆は落ち着いてきたのだと喜んだが、伽耶の目にはそうは見えなかった。
「迦楼羅、郷を出てゆくつもりか」
 思わず声をかけた。
 すると驚いたように、迦楼羅が振り返る。
「図星…みたいだな」
 彼女は小さく否定をするものの、言葉はない。
「おばあから聞いた。仙の者に遇ったそうだな。俺もおばあと同じ気持ち。迦楼羅が望むなら此処を出て行ってもいいし、連れてきたかったら連れてきていい。俺はどちらでも力になるから」
 そう言って、伽耶は迦楼羅に向かって笑いかけた。

「その仙、何て名なんだ」
「龍牙」
「龍牙、か。俺と上手くやれないのかな」
 すると迦楼羅は慌てたように首を振る。
「じゃ、問題ないだろ。連れてこいよ」
 待ってるから、と付け足して伽耶は去った。

 それでも、迦楼羅は郷の話をできずにいた。
 だからこそ約束もなく帰ってゆく迦楼羅のことを、龍牙の方が追う形となった。
「此処がお前の郷か」
 驚いた迦楼羅が振り返ると、龍牙が立っていた。
「どうして…」
「お前がいつまでたっても、連れてきてくれないから」
 迦楼羅の表情に、思わず失敗したかと龍牙は思う。
「悪かった。そんなに嫌なら帰るからさ」
 そう云って背を向けると、彼女が抱きついてきた。

 迦楼羅…
「お前が龍牙か」
 顔を上げると男が立っている。
「俺は伽耶。郷へようこそ」
 そう言って男は川に架かる橋を渡っていく。
 迦楼羅は何も言わなかったが、涙をふくと龍牙の手を取った。そして共に橋を渡り始めた――。
 これはまだ、遠い未知の話である――

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


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