大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
迦楼羅の言葉が、シヴァの脳裏に届けられる。
≪私を消せ≫
と。
ずっと昔、リューシャンに告げた言葉がある。
“助けて欲しければ”願えばいいと。
しかし、迦楼羅は人だ。普通なら自分のもとへ言葉を届けられるだけの力はない。
いったい彼奴に何が起こった。
シヴァは天界の白虎の許へと向かった。
其処にはヴィシュヌも来ていた。
≪何があった≫
彼は、シヴァの脳裏に思念を送る。
あのザキーレが死んだ、だと。
シヴァの心に怒りが走る。
では、これが今の迦楼羅の望みか。
その時、東海龍王の姿が、白虎の覗いている水鏡に映った。
≪あやつも、自分を止められなかったとみえる。今回ばかりは仕方がないだろう。許してやれ≫
そう云って、白虎が苦笑いを見せた。
≪何故、ザキーレは塵にならぬ≫
≪此処に、ザキーレの魂が残っているからだ。これを地上界の土に埋めてやる。さすれば、あいつは天界とは無縁となる≫
シヴァが白虎の首から提がる巾着を覗いた。
≪リューシャンが魂魄を剥がす封印をかけたのか≫
≪それだけザキを喪うことを恐れていたからな≫
白虎を通して、迦楼羅の本意が見えた。
本来は天界との縁を切るために、封印したのではなかったのだろう。ただ魂魄が別にあれば、命を繋ぐ時を稼ぐことができる。
シヴァは、リューシャンの力がザキーレの魂を留めたのだと思っていた。
ザキーレを地上界へ送ると決めた時、この魂魄のことをシヴァも天帝も知らなかっただけのこと。そして魂魄は天界に残された。
露智迦は、地上界に下りた瞬間に消滅するかもしれぬ状況のなか、リューシャンの為だけに生き延びたのか。
二人を引き離したのは、我か…
シヴァの瞳に光るものが見えたと、ヴィシュヌは思った。
≪どうするつもりだ。日の本を滅ぼすか≫
ヴィシュヌのその言葉を聞くと、シヴァの表情が怒りに満ちているのが分かる。
≪ザキーレ… 否、露智迦を埋める場所が無くなったら、今度は私が迦楼羅に怨まれるではないか≫
その言葉を聞き、ヴィシュヌも白虎も安堵した。
この怒りのまま、地上界に往けば日の本など荒れ野原と化してしまうだろう。
≪シヴァよ。東海龍王が折角、地上界に下りたのだ。あやつに露智迦の後始末をさせればよい≫
白虎の言葉に、思わず彼を凝視する。
≪白虎よ。お前も年をとったな。悪知恵が働くようになった≫
そう云ってシヴァが笑う。皮肉な笑いだ。それでも、ここで地上界と揉め事を起こすのは得策ではない、と誰もが気付いていた。
ヴィシュヌが云う。
≪ブラフマーが動いた≫
≪知っている。今度は、どの星の下に眠るのか。また何億年もかかって捜さねばならぬな≫
シヴァの言葉は、迦楼羅の願いを叶えてやるのかと白虎に思わせた。
しかし、それは杞憂に終わった。
≪迦楼羅の記憶を抜く。人として生きる覚悟ができた時、自然と記憶が封印されるだろう≫
ただ、このシヴァの読みは珍しく外れることとなる。
迦楼羅は人として死する、その日まで露智迦のことを忘れることは決してなかった――。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】