大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
地上界。
そこは深い森の奥、誰も足を踏み入れることのない秘境。
その日、伽耶は胸騒ぎがして、森の奥へと分け入った。
まだ朝靄の中、無事に戻ることが出来るのか否かも分からないまま、先へと進む。すると、そこには果たして独りの男が倒れていた。
思わず駆け寄り抱き起こす。
(…ザキーレ)
左腕の付け根に小さな痣を残すこの男を、伽耶はよく知っていた。
天界を安定的に統べるため送られた女を、守る男だった。
(どうして、こいつが…)
ともかく彼を背に担ぐと、目印にと折って歩いた枝を頼りに郷へ戻ってきた。
彼は一週間眠り続け、そして目覚めると、自らを「露智迦」と名乗った。
記憶をなくしているのかと思うと、そうではない。
天でのことは憶えていた。それなのに、詳しい話をしたがらない。
伽耶のことも仲間のことも憶えているとは言うものの、一番大切な人の話は決して口にはしなかった。
伽耶は、
「何故“露智迦”と名乗るんだ」
と聞いた。
すると、飾りかと思っていた珥堕が震え、彼が頭を抱え込む。
(封印が掛けられている、何の為の…)
「お前、リューシャンのこと、憶えてるか」
伽耶の発した、その言葉にも珥堕は響く。
長老は無理に思い出させることはするな、と言った。
珥堕はリューシャンの掛けたものだ。明らかに何かがあって下りてきたのだろう、と。
丁度、入れ替わりのようにサクジンが天へと還っていた。女が赤子を産むのも間もなくだ。
この郷のためにも、露智迦は必要になるだろう。
人なのか、天人なのか。
露智迦本人がそうありたいと思う方でよい、と言う長老の言葉が一番大切なのかもしれない。
やがて露智迦という名での、郷の暮らしが始まった。
彼の廻りは、いつも不思議なオーラに覆われている。
そして多くの女たちが彼を囲み、郷は以前に増して華やいでゆく――。
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】