大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/地上界9』
露智迦2

 地上界。
 そこは深い森の奥、誰も足を踏み入れることのない秘境。
 その日、伽耶は胸騒ぎがして、森の奥へと分け入った。
 まだ朝靄の中、無事に戻ることが出来るのか否かも分からないまま、先へと進む。すると、そこには果たして独りの男が倒れていた。
 思わず駆け寄り抱き起こす。
(…ザキーレ)
 左腕の付け根に小さな痣を残すこの男を、伽耶はよく知っていた。
 天界を安定的に統べるため送られた女を、守る男だった。
(どうして、こいつが…)
 ともかく彼を背に担ぐと、目印にと折って歩いた枝を頼りに郷へ戻ってきた。

 彼は一週間眠り続け、そして目覚めると、自らを「露智迦」と名乗った。
 記憶をなくしているのかと思うと、そうではない。
 天でのことは憶えていた。それなのに、詳しい話をしたがらない。
 伽耶のことも仲間のことも憶えているとは言うものの、一番大切な人の話は決して口にはしなかった。
 伽耶は、
「何故“露智迦”と名乗るんだ」
 と聞いた。
 すると、飾りかと思っていた珥堕が震え、彼が頭を抱え込む。
(封印が掛けられている、何の為の…)
「お前、リューシャンのこと、憶えてるか」
 伽耶の発した、その言葉にも珥堕は響く。

 長老は無理に思い出させることはするな、と言った。
 珥堕はリューシャンの掛けたものだ。明らかに何かがあって下りてきたのだろう、と。
 丁度、入れ替わりのようにサクジンが天へと還っていた。女が赤子を産むのも間もなくだ。
 この郷のためにも、露智迦は必要になるだろう。
 人なのか、天人なのか。
 露智迦本人がそうありたいと思う方でよい、と言う長老の言葉が一番大切なのかもしれない。

 やがて露智迦という名での、郷の暮らしが始まった。
 彼の廻りは、いつも不思議なオーラに覆われている。
 そして多くの女たちが彼を囲み、郷は以前に増して華やいでゆく――。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


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