第一章

嫌な予感

12

 翌朝、ふたりは早目に寮へ戻り、桃子はまず食堂へと急いだ。
(この時間なら、まだ誰もいない筈)
 ところが、ずらっと見知らぬ先輩(?!)たちに取り囲まれ、質問攻めにあう。矢継ぎ早に飛んでくる質問を、完璧に無視し食事を取る。一人が怒って、お味噌汁を頭からぶっかけた。
 それでも、何もないかのように食事を続ける桃子に、また別の人が唐辛子を一瓶ご飯にぶち込んだ。
(やっぱりな〜 だから嫌だと言ったんだ。きっと藤村さんは、私の思った以上に人気者らしい)
 そうこうする内に、食堂のオバちゃんが気づきタオルを持ってきてくれて、取り囲んでいた人垣が崩れた。
「まさに救世主です」
「何、莫迦なこと言ってんの。シャワーだけでも浴びていらっしゃい。ここは片付けておいてあげるから」
「はい。有難うございます。よろしくお願いします」
「ほら、礼なんていいから、時間ないよ」

 借りたタオルはすっかり茶色に染まっている。よりによって、今日のお味噌汁は赤みそだった。
(困ったな〜 新しいタオルが要るのかな)
 シャワーを浴びながら洗っても、染みは落ちそうにない。暫時、落とすのを諦めて浴室を出てくると、今度は置いてあった着替えがなかった。
(よくやるよ)
 使っていたタオルで体を拭き、仕方なくそのまま裸で廊下に出る。素っ裸である。
 一斉にフラッシュがたかれ、シャッター音が響いた。瞬時、世界が真っ白になった。
 部屋に戻ると、用意をしていた服が床に落ちている。十分後、桃子は何事もなかったように、教室の机に向かい座っていた──。

「十文字、ちょっと来い」
 桃子が担任の佐久間に呼ばれたのは、その日の放課後。職員室に入ると、つい立に仕切られたソファに座るよう手招きされた。
 そこで佐久間はドサッという音とともに、数十枚のチラシを置き、
「これなんだが」
 と口籠もった。出されたのは、今朝撮られた桃子のオールヌード。最近じゃパソコンのお陰で、仕事が速い。そこには援交、売春、挙げ句麻薬中毒等、ありとあらゆる見出しが躍ってプリントされていた。
「見事ですね」
 他人事のように答える桃子に、佐久間は戸惑いを覚えた。
「お前じゃないのか?」
「いいえ、私です」
「間違いなく十文字なのか?」
「はい」
「よく見ろ。こんな写真、どうやって撮られたんだ」
「今朝、寮の浴室を出たところで。脱衣所で着替えを隠されてしまい仕方なく裸で出てきたところです」
 佐久間は顔面を手で覆う。
「誰に、と聞いても知る筈はないな」
 当然だ。桃子が島に渡り、まだ三日目だ。桃子も黙って頷いた。
「これを剥がして持ってきたのは二年の藤村なんだが、何か関係があるのか」
(──忘れていた。彼の取り巻きの仕業か)
「いいえ。偶然初日に会って、昨日学校内を案内して戴きました」
 佐久間は、成程、と腕組みをした。
「気をつけろ、としか言ってやれん。何か、あったらすぐに言ってこい」
 佐久間はそう言った。これまでにも色々あったのだろう。佐久間の表情には、多分桃子に向けているのだろう哀れみが浮かぶ。
「藤村さんは、そんなに、その…凄い人なんですか?」
「馬鹿馬鹿しい話だがな、あいつと話したいばっかりに自殺未遂騒ぎを起こした生徒もいるくらいだ」
 あんぐりと口が開いた。
「島のサラブレットだな。あいつと京極菖。何を考えているのか、あの二人に取り入ろうとする奴らばっかりだよ、ここにいる奴らは、な」
 そう言うと佐久間は、煙草に火を点けた。
「でも、あいつが守ろうとする人間に初めて会った気がするよ。京極もだが。群れたがる奴ばかりで、あの二人が自ら動くことはないように思ってた。藤村までが、ね〜。青春とやらかな」
(青春ねぇ‥ 先生の方も、充分ここの空気に毒されていると思うけれど、ね)
 桃子は小さな溜息をつき、佐久間の独り言につき合っていた──。

「先生。佐久間先生! 何処ですか?」
 瞬時、桃子は仕切りカーテンの方から聞こえた声に顔を向ける。桔梗である。
「お〜、ここだ、ここ。お前もこっちに来て座れ」
 と桃子の隣を指す。座ると、桔梗はまず桃子に問う。
「あの写真、何?」
「今朝、撮られました」
「じゃ本当に桃子なの?」
「はい」
 そこで桔梗はあんぐりと口を開け、次に生唾を飲み込み、その後頭を抱えて沈み込んだ。
(冗談じゃねぇぞ。修正なしのオールヌードじゃないか。一体誰が何のために‥)
「藤村」
「はい」
 佐久間は煙草の火をもみ消すと、お茶をすすり少し前屈みになった。
「お前、自覚しろよ。お前が誰か一人を選んだら、そいつが、この場合十文字だが、どういうことになるのか、を」
「わかっています。ですが、寮の中まで監視出来ません」
「当たり前だ。それでも、ちゃんと守ってやれよ。本気ならな。そうじゃないなら、今すぐ手を引け。今まで通り自分は動くな」
 聞きながら桃子は、
(手を引いて欲しい)
 と心底願った。
 が!!
「そこまで言うなら、佐久間先生は味方ですよね。俺は本気です。ただ今は、友達からということになっていて、守ろうにもマズイ段階なんです。どうしましょう」
 今度は佐久間が、あんぐりと口を開けていた。気を取り直したように、煙草を取る佐久間の手に桔梗が手を重ねる。
「女の子がいるんです。それに吸い過ぎは体に悪い」
 佐久間は、オヤッ?!という顔をした。昨年、担任だった時には見せたことのない顔、そして言葉。
(成程、俺は、こいつの内側の人間の輪に入ったって事か)
「少し自重するとしよう。全く、お前が片思いとはね。他の女生徒が知ったら十文字は殺されるな」
(そんなぁ〜)
 すかさず、その表情を見てとり、
「莫迦、本気にするな。いざとなったら外に部屋借りてやるよ。それとも、俺のとこに転がりこんできてもいいゾ」
『先生!!』
 思わず、ふたり揃って叫んでいた。
「冗談だって。心の狭いやつらだな〜」
「こんなことで言われたくありません」
 桔梗が、チョッピリ強い(こわ)調子で答えた。
 わっはっは、と佐久間が大声で笑い出した。
「藤村。お前って面白い奴だったんだな。知らなかったよ。そうと知ってりゃ、去年もう少し遊べばよかった」
「そんな事したら、先生首が飛びますよ」
「ん!? それもそうだな──」
 桃子は、二人のやりとりを見ながら自然に笑っていた。
 それは、もう素晴らしい微笑だった。桔梗も、勿論佐久間も気づいていたが、そのことには触れず二人は冗談を言い合った。
 そんな当たり前の時間が桃子にとっては初めての経験だと、佐久間は知る筈もないのに、その無意味な時間をそこで過ごした。
「なんとか、するさ。な」
 佐久間が桔梗に向かって言う。
「勿論」
 桃子は泣きそうになった。
(う〜ん。涙腺、壊れたかも‥)
 桃子は二人のかもし出す、穏やかな空気に癒されていたのかもしれない。暫くして、佐久間が中座した。程なくして桔梗が声をかけてくる。
「桃子、今一人部屋?」
「はい。いえ、正確には二人部屋を一人で使っています。そのうちには、三年生の抜けた後の二人部屋に入るらしいですが、今は部屋が決まっていなくて」
 桔梗は、ふ〜ん、と何か考え事をしていたが、佐久間が戻ってくるまでは何も言わなかった。
「待たせたな」
 と佐久間が戻ると、まず桔梗が話し始めた。
「先生。寮の管理の人に誰か知り合いいませんか?」
「ん!? お前も同じこと考えたな」
「じゃあ」
 桔梗の表情が、ぱっと明るくなった。
「あ〜、話はつけた。十文字、今日から三年と同室だ。とりあえずは、それで凌げ。何、面倒見のいい奴だから心配するな」
 二人は暗黙の了解とでも言うように頷いた。

著作:紫草

inserted by FC2 system