第一章

先輩

3

 佐久間の計らいで特別な措置がなされ、桃子は三年生の小平愛実(こだいらめぐみ)という寮長と同室ということになった。
 小平は見た目こそ、おっかない感じがあるが、口を開くとコロコロと鈴のころがるような声で話す。
「このギャップで、いつも“長”のつく何かをしているのよ」
 と、これまたコロコロと話す。
「簡単な話は寮母先生から伺ったわ。ともかく、一年間よろしくね」
 と言いながら、右手を差し出した。桃子もその手を握り返す。
「こちらこそ、よろしくお願い致します。申し訳ありません。折角一人部屋に入られたばかりのところ、私のせいで二人部屋に逆戻りされたばかりか、相手が一年生で。重ね重ねお詫びします」
「貴女のせいじゃないわ。そうでしょう。気にしないで、私、二人部屋の方が好きよ」
 そう言って愛実は格好よくウィンクをする。決まっている、流石だ。
「十文字さん」
「はい」
「桃子さんって可愛い名前ね。私、気に入った。桃子って、呼んでもいい?」
「どうぞ」
(わざわざ断わる必要が、ある事か!?)
 桃子の顔がそう言っているのを、愛実は見逃さず、
「面白い子ね。転校生というのは聞いたけれど、もしかして此処の事何も知らずに入ってきたの?」
「まぁ、そんなところです。この三日間で、目一杯驚いている進行形ですね」
「そりゃ、いいや」
 そこで愛実はコロコロと鈴の音で笑う。
「ところで、寮母先生からの話だと、藤村君との関係がうやむやなんだけれど、はっきり聞くね。つき合っているの?」
「いいえ。ただ此処の中で、一番私の事を知っている人です」
「へぇ。あの子凄い人気だから、それで苛められたってところね」
「みたい、です。でも実感湧かなくて、自分では無関係だと思っているくらいですから。ただ、この考えは早々に撤回しないとならないようだ、というのは流石に判っています。でも、まだ抗っていたい。もう少し誰とも関わらずにいたい、というのが本音です」
「相手が、あの藤村君でも?」
「誰であろうと、です」
「面白い子ね〜」
 そこで愛実は運び入れたダンボール箱から缶コーヒーを二本取り出し、一本を桃子に投げた。
「おっ、ナイスキャッチ」
「ありがとうございます。面白い、と言われたのは初めてです。いつも、暗いとか、子供らしくないとか、聞いて笑うことの出来ないものばかりでしたから」
 コーヒーを飲みながら、桃子の表情を見ていた愛実は突然大きな声を出す。
「藤村君と恋をしなさい。人を好きになって、藤村君からも想ってもらって、私とは友だちの“好き”をしよう。人はいいものよ。そりゃ、喧嘩したりもするけれど、時が人を優しくしてくれる。桃子みたいな純粋な子が、それを知らないなんて不公平よ」
「どうして泣いているんですか?」
 力説する愛実の瞳から、大粒の涙がこぼれていた。
「此処で出会った多くの女性の中で、初めてちゃんと話の解る人間に会った気がするから。でも、その人がこんなに悲しい心をしてるなんて耐えられない」
「・・・」
 桃子は困ってしまった。言葉が出ない。
「ちゃんと言っておく。私は親に強要されて此処に来たの。京極君や藤村君が中学から此処に来ているのを知った親が、高校から此処に入れるからって。で、二人のどっちでもいいから物にしろって。莫迦にした話だと思うでしょ。有名な二人だったらしいけれど、私は知らなかった。幼かったけれど、つき合っていた人もいた。その人とは、音信不通になっちゃったけれどね。だから私はあの二人が嫌いだった。向こうにしたら、お互いさまだって言われそう。でも、あの二人は私が思っているような人ではないと、此処に来て判った。京極君の選んだ恋人がね、普通の子なの。京極の名前なんてクソくらえ〜ってくらいのフツウの子。今また、藤村君の守ろうとしている子が、桃子だって知って、やっぱりあの二人は凄いと思うな」
 殆ど愛実の一人舞台。桃子は、口を挟むのも憚られて、黙って聞いていた。
「先輩‥」
「それ、やめて。愛実でいいよ」
「いや、それは…」
「本人が言ってるの。それに、私とタメ口きいてた方が絶対得するって」
 それは、そうだろう。何せ、相手は寮長だ。
「じゃ。お言葉に甘えて、愛実さんってのは如何でしょう」
「うん、いいね。それでいこう!」
 桃子には、また一人味方が出来た。
「藤村君はね、たらしみたいに言われるけれど、本当は違うのよ。硝子の置物みたいな人。いつも、その体を張って京極君を守ってた。痛々しいくらいね。今は京極君に女が出来てヒマ人よ。たっぷり可愛がってもらえると思うわ」
 その愛実の言葉に、桃子は違和感を覚えた。
(何故、そんなことがわかるのだろう)
 わだかまりは言葉にはならなかった。だが愛実の方が、それに気づく。
「何故、わかるのかって顔ね」
 今度こそ、本当に桃子は驚いた。不意打ちを食らった前日とは違うのだ。自分の表情に、気持ちが出る筈はない。
「どうして」
「気持ちが分かるの、何となくだけれど。勘がきくタイプ。あと、藤村君の話だからかな。今まで多くの子が同じ言葉を吐いたからね、あんたがいるせいだって」
(?)
「藤村君が私を見てくれないのは、愛実が邪魔をしてるんだ〜って」
「何ですか、それ」
「逆恨み」
 ここまでくると、此処での暮らしを考え直したくなる。
「此処に来てすぐの頃、死のうとしたの。その時、藤村君が助けてくれた。それから時々話をするようになったの。別れた人が本当に好きなら、ずっと想っていればいいって。誰にも迷惑にはならないし、もし、二度と会えなくても気持ちの優しい人になれるって。中学生のくせに、やけに人生悟ってて。その時ね、気づいたんだ。藤村君も好きで此処に来た人じゃないんだなって」
 桃子も、桔梗の言いそうなことだと思って聞いていた。自分のない人。いつも京極を守る人。それでいて、優し過ぎるからこそ、傷ついてしまう硝子のような人。
(どうりで、私の話が聞ける筈だ)
「よかった、そんな人に想われて」
「いや、それは‥」
「うるさい!! 初日に彼に出逢うことが運命。みんな望んでも叶わないのよ。それくらい凄い人に一目惚れされたのよ。自信を持ちなさい」
(・・・)
「そんな顔しないの」
「そんな人気者なら、何も私でなくても‥他に幾らでもいるでしょう。私みたいなのが、よくないです」
「うん。それはそうだ」
「えっ!?」
「当然でしょう。学校の九割以上の女が狙っているのよ。簡単過ぎるわ」
「愛実さん」
「でもネ、桃子は、肝心なことを忘れているわ」
「何ですか?」

「桃子も、ひと目惚れだったんでしょう」

 ──────。
(どひゃ〜)
 とは、桃子の心の叫び。
「本人にも気づかれなかったのにな…」
「この“愛実様”を騙そうなんて、百年早いわ」
 二人の間で、笑いが起こった。
「神様は、また私に苦労をしろと言うんですね」
「ん!? 取りようによったら、そうね。まず、明日の朝は私といるとして、下駄箱は開けない方がいいわ。ロッカーもだし、この部屋の鍵も明日には増やしましょう。あとクラスに味方を作りなさい」
 桃子の顔が、げっと歪む。
「それパス。味方は要らない」
「莫迦ね。そんな風だから孤立するんでしょう」
「でも、それだけは勘弁して下さい」
「仕方ないな〜。じゃ、クラスにいる時は自分で何とかしなさいよ。特に、移動する前後とか」
「何か、あるんですか?」
「自覚しなさい。藤村君の女がどんな目に遭うか」
「私、女になるって決めたわけじゃ」
「懲りないわね〜 あれっ?」
「今度は何ですか?」
「う〜ん… デジャブ。前にも同じことを話した気がする」
「誰と」
「否、わからない」
「しっかりして下さいよ、愛実ちゃん!」
「桃子!! アレッ!?」
「またですか?」
「桃子、前に何処かで会ってない?」
「まさか」
「そうよね〜、変だな・・」

━━ピンポーン 百五号室の十文字さん、電話が入っています。電話室まで来て下さい。
 寮内放送が響き渡った。
 物凄く深く長い溜息の後、愛実が力無く言う。
「一緒に行こう」
「すみませぇん・・」

 電話室〈といっても、グレーの公衆電話が二機並んでいるだけの、小さな部屋だ〉には、ずらりと列が出来ていた。
 桃子は背を向け引き返そうとしたが、愛実に首ねっこつかまれ戻される。
「あんたが戻ってどうするの」
「いや・・その・・」
 愛実は、桃子の服の衿を掴んだまま、
「はい、どいて。はい。あんたも、はい、どいて」
 テキパキとみんなを押しのけ、電話室に入っていった。
「あなた、何、勝手にしゃべってんの?」
 二機ある電話のうち、一機は使用されていない。すかさず、ベラベラ話しまくっている女を放り出す。
「ほら、早く出て」
「はい」
 凄いな、この人。
「もしもし・・ん? もしもし」
「どした?」
「切れているわけじゃないんですが、誰も出ないの」
「貸して。──もしもし、小平よ。桃子を連れてきたわ。本物よ。暗号でも使って確認して。──はい」
 受話器を渡され、呆然とする。
「愛実さん、暗号って」
「ふたりしか知らないことを言ってみれば。相手が特定できるでしょ」
(ふたりしか知らないこと・・)
『オレンジジュース』
 ふたり同時に叫んでいた。
「おめでとう」
 と桃子が言うと、
───とってつけたような“おめでとう”だな。
 と桔梗が笑う。
───わぁ、やっと本物かぁ。
「どうしたんですか?」
───携帯、買おうな。
「そんなお金ありません」
───あゝ、俺が買う。
「要りません!」

 尚、廊下に残る生徒を何とか部屋に帰し、愛実も戻ってきた。
「ちょっと、何喧嘩してんのよ。私、部屋に戻るわ」
「待って。居てください。お願い」
───何、小平、まだいるの?
「当然です。愛実さんがいないと部屋に戻れない」
───そっか。桃子、ごめんな。
「何故謝るの?」
───結局、困らせてる。
「そうですね」
───・・・。
「弱気になりましたね」
───当然だ。どうやったら、好きになってくれるかな、なんて菖にポロッと言ったら、ラブコールでもしてこいって言われて。なのに外からの電話だってだけで、これだもん。やってられない。
「藤村さん、有難う。私、明るい高校生活送れそうですよ」
───う〜ん。それは、言葉通りの意味じゃないよね‥。
「いいえ。言葉通りですよ。愛実さん、待っていてくれるんで、もう切ります」
───うん。
「じゃ明日、学校で」
───えっ、会ってくれるの?
「はい。おやすみなさい」
───ちょっと、待って!
 一度は耳から離した受話器から、桔梗の声がした。
「何ですか?」
───本当に、偶然じゃなくて会ってくれるの?
「はい。ちゃんと迎えに来てくださいね」
───あゝ、行く。絶対に行く。必ず行くから。
「待っています。おやすみなさい」
───おやすみ。
 切る間際、受話器の向こうで歓声をあげる桔梗の声が響く。桃子も、聞きながら幸せな気持ちになった。
 不思議な人だ。
(私なんかの、どこが気に入ったんだろう?)
 あまりに普通に出逢い恋に落ちた桃子にとって、桔梗の姿が、いかに以前と違うのかを判断することは出来なかった。

 そして愛実がいなければ、桃子が無事に部屋に戻ることは、百パーセントなかっただろう。
(少しは自覚しろよ)
 と、他の誰もが思っている‥。

著作:紫草

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