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「ごめんなさい」
気づくと桃子の瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溢れている。
「気にするな。泣きたいだけ泣けばいい」
首を横に振る。勢いで、真珠のような涙が落ちる。
「もう平気」
それだけ言うと、また歯を食いしばる。
「平気なんて言うなよ。違うだろ。ゆっくり、いこうよ」
「・・・」
──言葉にならなかった。
桃子の腕が、桔梗の体を抱きしめた‥。
「有難う。もう、本当に大丈夫です」
桃子は落ち着きを取り戻し、ふたりは部屋の奥にあるソファに座っていた。
「自分でも驚きました。泣くなんて、一生ないと思ってた。それが、こんなことで蘇るなんて・・・」
「こんなこと?」
「摩子さんに、頬にキスされて。最初は、ただビックリしただけなのに・・、」
再び涙が溢れた。
桔梗は桃子を抱き寄せ、
「ずっと心が死んでたんだ。今、摩子のキスで復活した。残念だな、そのキスの相手が俺じゃなくて」
桃子は、桔梗の目を見たくて少し離れる。
「いや、友だちから、ちゃんと始めるから。だから大丈夫。ゆっくりいくから。うん」
するとクスクス、と笑う桃子。
「何?」
と桔梗。
「私。昨日、散々泣いていますよね」
「そうだけど… でも、今のは違うんだろ」
桃子の表情が変わる。
「何故そう思うんですか」
「・・・怯えてた」
軽く二、三度頷いて、桃子は切り出した。
「叔父が、必ず、最初に頬にキスをしていたんです。慣れていた筈なのに、急に恐ろしくなりました」
「今までは、恐ろしいと思ったことがなかったの?」
「はい。一度もなかった。今、初めてです。それも、相手は女性なのに」
桔梗は、先刻、摩子がキスした頬に手を伸ばす。その手に、桃子が手を添えた。
「藤村さんの手、暖かい」
空白の時、そして‥
「好きだよ──」
「ありがとう。今は、私を此処に来させてくれた祖父に、私自身が初めて感謝しています。そして藤村さん、本当にありがとう」
桃子の微笑みと桔梗の微笑み。自然にふたりの距離は縮み、やがて、ふたりの唇は重なり合っていた──。
途端に顔を背ける桃子。桔梗はその顎に指を当て、自分の方へと向き直らせる。
「私は汚(よご)れている。その事実は絶対に消せません」
「そうか。じゃ、俺が、もっと桃子を汚(けが)してやる。それで我慢しろ」
!
桃子がその言葉にうろたえ泣きじゃくったのは、火を見るよりも明らかだった。
ぶっきらぼうに告げる桔梗の言葉は、どんな慰めの言葉よりも重く、桃子を安堵という船に乗せる。そして、照れながら聞くのである。
「ところでキスはしたけど、俺らはまだ友だちのまま? それとも、俺は自惚れてもいいのかな?」
桔梗は、かなり臆病になっているようだった。ひとつひとつ丁寧に言葉を選んだ。桃子の機嫌を損ねない為…いや、可愛くて仕方がないから。
「今だから言えることってありますよね」
「そうだね」
「私、実は藤村さんのこと、ひと目惚れでした」
その時の桔梗の顔を、桃子は一生忘れないであろうと思う。
「お前な〜」
「ごめんなさい。でも、もっと自分に自信を持ったら如何ですか。素敵ですよ、藤村さんは」
「そういうことにしておこう」
桔梗の言葉には、呆れてる、の他に嬉しさが隠しきれていなくて、桃子にもそれは判ってしまうのだった。
「大体あんな、ド・アップで見せられて、惹かれない方がどうかしてます!」
「開き直ってるんじゃない」
「はい、すみません」
そう言って小さく肩をすくめる桃子を桔梗が抱き締める。
「桃子、携帯買おうな」
「お金・・」
桔梗に、ガンとばされる。
「俺が、欲しいの。分かった?」
「はい…」
「無理にとは言わないけれど、便利だよ」
「分かりました。でも電源を入れるのは私の意志ですよ」
桔梗は黙って頷いた。
「やっほ〜! ケーキ作ったよん」
と摩子が飛び込んできて、ふたりの話は一先ず終わった。
程無くして菖も現れ、皆で摩子お手製のケーキを食する。
ほんの短い期間で、桃子は、大嫌いだった筈の“仲間”とやらに、囲まれていた──。