第一章

悪夢

18

 一週間後、中間テストの成績を受け個人懇談の予定が決まり、外の人間にとっては、年に唯一の渡島のチャンスがやってくる。
 学校の特性上、その日の午前中は授業参観となっていた。

 島へ渡る人間を極力減らす為、一クラスを二つに分け、学校側の指示が無い限り生徒一人に対し父兄は一人のみとし、十五名前後を毎日、土曜返上で三週間かけて行われる。
 これも予定者を貼り出すのだが、桃子には来る者はない。ただ予定のリストに名前がなくとも誰もが必要ないだろう、と思っていた。その為、何故誰も来ないのか、などということを詮索する者はなかったのである。
 当然といえば当然か。
 桃子の中間テストの結果(現国・古文・漢文・数×2・英×2・日本史×2・世界史・理科×2)は全十二教科満点だったのだから。これも桃子に言わせれば「偶然ヤマが当たった」らしいが、作成者側にいる菖は貼り出された結果を見た時、
「冗談じゃないぞ、何日かけて作ったと思っているんだ」
 と素直に怒っていた。
 編入試験すら、満点で通ってきた桃子には大して難しくは感じられないテストだったのだが、日々一緒にいると、どうもその事を忘れてしまっているらしい。
 そして、この参観週間のみ、特別に前泊を許された父兄たちが多くの荷物と共にやって来る。その様子を見て、桃子は自分が如何に少ない荷物で越してきたのかを知るのである。
 たった一泊する為だけに、でっかいバッグが三つ、四つ。
(一体、何が入っているんだろう?)
 桃子には想像もつかなかった。
 しかし、こうして渡島した父兄といえども、寮への出入りは許されておらず、教師用の研修センターへと案内される。ただ、希望すれば生徒もセンターでの宿泊が出来る為、約半数の生徒は、親と一緒に過ごすのである。

「藤村さん」
「ん?! 何」
「どうして宿泊の支度を生徒会がするんですか?」
 研修センターの部屋割り通りに布団を運び入れながら、桃子は不思議に思って聞いてみる。
「さあ?! ただ菖の親父さんの時にはもうやってたって聞いたぞ。中一でやらされた時に、菖がそう言ってた」
「京極さんのお父様も卒業生なんですか!?」
「というより、親父さんのために此処を創ったようなもんだから」
 桔梗。そこで、すかさずウィンク。
 ──桃子は、あんぐりと口が開いた。
(京極さんて、一体何者?)
 ここにきて、漸く菖の素性を知る桃子なのである。
(遅いよ)
 と、これまた他の誰もが思っている。

「桔梗、済んだか?」
 菖が入ってくる。
「あ!! 桔梗テメェ、何、桃に手伝わせてんだよ」
「うるさい!! 菖も摩子に頼めばいいだろ。大体、五人で二十人以上の寝具出すだけでも大変だって。それを毎日…」
「莫迦か、摩子に頼んでみろ。全部やり直すハメになって、余計に時間がかかるだろ」
 菖の言葉の最後の方は、隣の部屋へ移動していった為、殆ど聞き取れなかった。それでも、
「あれは去年、やらせたな」
 ふたりは顔を見合わせて、笑った。

 やがて訪れた、参観懇談会週間。
 何日目かに当たるその日は、ちょっとしたトラブルがあった。
 突然、港に予定外のフェリーが着いた、というのだ。本来ならば、決して予定外の船を島に着ける事などないのだが、時まさに参観日。当日渡島予定の父兄が、間違って数名乗り込んでいた。
 とりあえず、船内で乗客を確認。そして下船の際にも生徒名、証明書を確認したのだが、誰一人怪しい人物を発見することは出来なかった。
 この事は、すぐに理事、校長、そして菖にも伝えられたが、授業参観を中止にするわけにもいかず(日にちを変更するとなると、更に大変になるからだ)暫く様子を見ることとなった。

 その日は、桃子のクラスの参観日初日に当たる。だからといって、誰もこの二つを結びつけて考えようとは思わなかった。
 菖ですら、皆目見当がつかない事件だったのである。

 前泊の者を含め、予定の父兄が予定時間よりも随分前に教室に集まってきていた。一クラス二十六名の半分、十三人の父兄が集まっているはずだった。
 生徒の顔すら、ろくに覚えていない桃子は集団としての認識はしたものの、各々の確認をするでもなく、静かに机に向かっていた。
 いつになく、ざわめく教室。
 高校生にもなって、まだ参観が嬉しいのかと桃子は可笑しくなった。いつもは派手な化粧をしている生徒までが、今日はやけに優等生をしている。
 父親が亡くなって以降、参観日に誰かが来るということが無くなった桃子にとって、いつまでも親離れ出来ずにいるクラスメイトは、ひどく子供に映った。
(私には関係がない)
 と、また殻に閉じこもる。桔梗には、
「悪い癖だ」
 と言われるのだが、こればっかりはどうしようもない。

 やがて授業が始まり、佐久間の担当する二時限目に突入した。
 科目は数学である。黒板に書かれた問題を当てられた生徒が次々と解いていく。何問目かで桃子に当たり、前に出て行って答えを書いた──。
 そして…。

(どうして、どうして、どうして──)
 桃子の表情は一瞬で凍りつき、その瞳は見開かれた。
 桃子の様子がおかしい事に気付いた生徒たちが、小声で話し始め教室内がざわめきたった。様子に気づいた佐久間が声をかけても、桃子には届かず、やがて脱兎の如く教室を飛び出した。

 その足は、右へ左へ、桔梗が教えてくれた“俺の教室”を探して走り回る。
 しかし、そこが判らない。
(わからない。どうして、わからない・・どうしよう・・どうしよう・・)
 その時、足音が耳に届いた。背筋が凍る。
 訳も分からず、桃子は大声で叫んだ──。

 所変わって、こちらは桔梗と菖の教室。
(今日は桃子のクラスの一日目だっけ)
 そんな事を考えながら、桔梗は授業を受けていた。
 こちらの教科は日本史である。この学校の日本史は、半端でないくらい細かく複雑だ。当然といえば当然か。

 その刹那、突然、体が反応する。
(何だ?)
 無意識に、桔梗は教室を飛び出し、足は桃子の許に向かって走り出していた──。

『ききょう──!』

 心臓を鷲づかみにされた、ような気がした──。

(桃子の声だ)
 再び桔梗は走り出す。今度は、明らかに桃子の許へ向かって。初めて聞いた「桔梗」と呼ぶ桃子の声。
(何が起こっているんだ)
 不安で押し潰されそうだった。早く、一刻も早くと、声の響いた方へと向かう。
 角を曲がったところで、その桃子とぶつかった。

「桃子?」
 何も言わず、しがみついてきた。来た方に目を向けると、男が一人立っている。
 各々の教室から、野次馬が顔を出し始めた。

「こちらへ」
 後方から菖の声が聞こえ、当事者全員理事長室へと通された──。

著作:紫草

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