第二章

7

 ──以降は祖父から聞かされた菖による説明だ。

 雅誕生時、十文字家としてはすでに男子に恵まれており、歳の離れた二番目の女の子は、まさに蝶よ花よと育てられた。
 ところが雅小学校五年の時、彼女が普通でないことに初めて母親が気付いた。雅の後、続けて妹が二人生まれたことも、雅にとっては不幸な巡り合わせだったかもしれない。大人の目が小さな子に移るのは当然である。それを責めては母親は辛かったろう。そんな母親が目にしたもの、それは‥。
 雅は、実の兄を犯していた──。

 当時、兄は高校三年。半年後、高校卒業と同時に彼は家を出ていった。事情が事情だけに雅を世間に出すわけにもいかず、仕方なく、雅に養子を取り跡取りにすることを決めており、この時までは良之介も、雅を更生させることがまだ可能だと思っていた。
 ところが思いがけず、雅は桃子の父長岡貢(ながおかみつぐ)に出会ってしまったのだ。雅、高三の夏である。
 当時すでに刑事であった貢は、良之介夫婦から全てを聞かされ別れるように言われたが、ならば尚更と結婚を申し込んだ。
(雅が嫁にいけば、長男を呼び戻せる)
 喜んだ母親は、卒業を待たずに雅を嫁がせ、すぐに長男と連絡を取った。
 しかし運命とは皮肉なもので、その長男も今更人前に跡取りとして公表出来る状態ではなかったのだった──。

 当然と言えば当然か。
 家出を許さなかった良之介は、彼が生きていく為の場所という場所でありとあらゆる妨害工作をしたのだ。戻る事を拒否した彼は生きていく為にある世界に入った、その道はホストだった。それでも、ただ単にホストを続けていたら問題はなかった。
 が、その美貌に目をつけたオーナーが、匿ってやるからと彼を騙し、性転換手術を受けさせたのだ。
 元々、その気があったのか‥。
 目が覚めたら、女性の姿であったにもかかわらず、その後も彼はその世界で生きている。
 良之介も、その姿を見れば諦めざるをえない。どんなに後悔しても、元の姿に戻すことは不可能に思われた。
 ところが貢は違ったのだ。総領息子は彼しかいない、と彼を連れ戻す為、彼の許に通うようになった──。

 家では、雅と話し合って里親となり引き取った男の子と、桃子、更に女の子を一人引き取り、家族五人幸せに暮らしていた。
 雅は母親という立場を与えると、楽しそうに三人の世話をした。三人兄妹と雅。その姿を見ながら思ったのだ。
 たとえ、その姿が変わっていたとしても、跡取りは彼しかいない、と。
 人間は変わる。
 雅も変わった。
 家族がいる限り雅が壊れてしまう事はない。仕事の合間をぬって、貢は長男に家に戻ってもらおうと説得を始めたのだった。

 そして運命の日がやってくるのである。

 あの日、貢は非番だった。
 話し合いは数ヶ月にも及び、漸く解決する筈だった。姿もそのまま、名前も『ルナ』という通称名で、跡を取ることにする。良之介も納得し、ルナも両親のことと雅の様子を聞き戻ってくる気になっていた。
 しかし、ルナに戻られては困る人間がいたのだ。
 裏の世界を知り過ぎたルナ。ルナを引き止めることが難しいと判断した人間は、相手、つまり貢を抱き込もうとしたのだ。
 しかし相手が悪かった、としか言いようがない。貢は刑事だったのだ。この世界の常として貢はあっさりと消されてしまい、ルナも戻ってくることはなかった。

「待って」
 慎一郎が菖の話を止めた。
「そこに、何故桃子が出てくんの?」
「連れて行ったんだよ。ルナを迎えに行った時、桃子を」
 今度は桔梗が声を出す。
「連れていった・・?」
「多分、意味はなかったと思うよ。非番で、子供たちは休みで、来ると言えば他の二人も連れていったんじゃないかな」
 和樹が囁くように言う。
「私も、連れていった?」
 菖が和樹に対し頷く。
「でも、私は行ってないわ」
「君は、お兄ちゃんと別の所に行った筈だよ。憶えてない?」
 菖に、そう言われ和樹は黙りこむ。
「ケーキ屋さんだ」
「そう。新しいお客さんのためにケーキを買いに行く、と言ったお兄ちゃんと一緒に、ね。桃は父親が一人で可哀想だと言ったらしいよ。だから、自分が迎えにいく方を選んだ。それだけだった」
 和樹は言葉を失った。桔梗が、納得したように言った。
「桃子を守ったんだ」
「あゝ。銃声の中、殆ど無抵抗でいたらしい。駆けつけた消防隊員が、貢の腕の中で気を失っている桃子を見つけた時、桃子は奇蹟的にもかすり傷程度の怪我しかしていなくて、守ったんだと思ったと言ったらしい」
 菖の瞳にも、悲しみが浮かんでいる。

 良之介の落胆は、見ていても痛々しいほどだった。一度希望を持ったがために、落ちていく気持ちをどうすることも出来ずにいた。
 その上、彼には更に頭を抱える問題が持ち上がってしまったのだ──。

 雅が、雅の様子が変わったのだ。
 貢を失ったことで、依存症の状態が強くなり、当時六年生だった長男岳(がく)に貢の代わりを求めたのだ。良之介は、一家四人を連れてくるよう部下に命じた。
 しかし誰の何の為の入れ知恵か、使いの者たちは、良之介と血のつながった雅と桃子だけを連れ帰った。
 良之介は、すぐに知り合いの刑事に子供たちを連れてきて欲しいと頼んだが、その刑事が着いた時には、二人の子はすでに何処かに消えた後だった。当然、近所の交番、施設等、あらゆる所を捜したが、二人の消息は分からなかった。

「和樹、あなたたち、施設で育ったんじゃないの…」
 桃子は再び後悔という、どす黒い思いに囚われ始めていた。
(何故捜しに行ってあげなかったんだろう。何故人に言うばかりで、自分で調べようとしなかったんだろう)
 そんな桃子の気持ちに気付いた桔梗が、桃子を抱きしめる。すると、桃子は静かに泣き始めた──。
 誰もが、その様子を静かに見守っている。

著作:紫草

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