大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――

『思ひ出語り/地上界31』
仮面の男5〜黄竜2〜

≪仮面の男か。上手く隠れたもんだな≫
 入ることのできない場所に、その男は入って来た。
 見ることのできない舟の中を、簡単に見破った。
 ジュラは何かの予感を覚え、舟を降りた――。

 そこには一人の男が立っている。
 背の高い露智迦や自分よりも、さらに高い。その風貌はたおやかで、誰が見てもこの人は優しい人だと感想を持つだろうと思わせた。どんな話をされても抱き込まれそうな気がする。
 金糸を織り交ぜた頒巾のようなものを首に巻き、その佇まいに色気を加えている。
 ジュラは彼を観察することに集中した。
 でも彼の内側に視得るものが、何もない。
 この結界内に無条件で入って来られる男だ。何らかの力があることは判っている。
 しかし全てを隠してしまうことが出来る程、この男の力は計り知れないということだけが分かった。

≪空間の河に舩を沈めた大莫迦者がいると聞いた。お前だな≫
 それを知るということは、この男は同じ種族に属する者か。
 ジュラは素直に頷いた、実際には天界の金の海に沈んだのだが。
≪大した奴だ≫
 彼は、呆れたように笑んでみせた。
≪何をしに来たんですか。貴男は誰ですか≫
 漸く、彼に言葉をかけた。
 ところが予想に反し、ジュラの言葉に彼は目を細めた。
≪我等の種族は、仲間を持たない。独りで生き与えられた役目を務め寿命がくれば塵となって消える。感情もない。仕事という言葉を使うなら、それは必要がないからだ。でもお前の言葉には感情が溢れている。何があった≫
 一気に話す彼を見て、ジュラ自身が驚いた。
 自分には感情が溢れている…
≪天上界にいた女の子を忘れなかった。それだけだ。見守っていたいと思っている。それだけだ。そして何時か塵となるのなら、彼女の近くにいたいと思っている。ただそれだけが望みだ≫
 なる程な、と呟く男に笑われたような気がした。

≪この場所が何故あるか、聞いているか≫
≪それは最初に迦楼羅から≫

≪火の力に苦しんでいた。躰の内にある火の種が、指先から零れ落ちると泣いていた。だからその躰を冷やすために水を湛えた水脈を与えた。龍のくせに水の近くに行けないと泣いていたから。その子が迦楼羅だ。ここは彼女だけに与えたものだったのに…≫
 そこで一旦、言葉を切る。
 竹林のざわめきが大きくなって、声が届き難くなったからだ。
≪此処のものたちは、お前を受け入れたということなんだな…≫

 此処を与えたというなら、彼が黄竜ということだ。
 とても、そんな風には見えないが。
≪悪かったな。どうせ黄竜らしくないよ≫
「いえ、そんな心算で思ったわけじゃない」
 思わず、言葉を使って話していた。

≪よし、決めた。次の黄竜を継ぐのはお前にする。此処に置いてやるんだから、そのくらいしろ≫
 ジュラは驚きすぎて、あんぐりと口を開けたまま何も云えずにいた。
≪俺もはみ出した。だから今、黄竜の証しを持っている。次はお前だな≫
「待って…下さい。ワタシには無理です」
≪では何故、俺の結界に平気で暮らしていられるんだ。お前は思っているより、多分ずっと俺に近い≫
「人の世を守る為に、堕ちてきたわけではない。人の為に力を使おうとは思わない」
 それは確かな思いだった。
 もし誰かの役に立ちたいと思うなら、それは迦楼羅や露智迦以外ではありえない。
≪継ぐといっても、まだ先の話だ。俺も時折、此処を訪れよう。迦楼羅には何も云うな。あの子にとっては只の隠れ家だ。竜を背負う必要などない≫
 もしかして迦楼羅に譲る心算だったのか…
 最高の微笑、なんて言葉があるだろうか。
 でも彼の顔に浮かんだ表情は、そう見えた。

≪禽の朱雀が迦楼羅を見守っている。手は出せない≫
「中央を司り、天空の四方を決める神。それが黄竜だと聞いたことがある。本当に貴男がそうなのか」
≪中央を司るからといって、いつもそこにいるわけじゃない。個体差はあると思うがな。少なくとも俺は決めた四方とその周辺を渡り歩いている≫
 いつしかジュラは彼を受け入れていることに気付いた。
 ほら、やっぱり。
 絶対、取り込まれると思ったんだ。
「否な予感が当たってしまった」
≪随分な言い草だなぁ。もっと気楽に考えろよ。迦楼羅がこの水に執着する限り、お前は此処にいるんだろ≫

 そうだった。
 勝手に何処にも行かないと約束させられた。
 黄竜の表情に、足枷となるようなものは感じられない。
「じゃあ、次期候補の一人になってやるよ」
 そのジュラの言葉に黄竜は笑った。
 そして人前に出る時は、仮面を忘れるなよという言葉を残し飛び立ってゆく姿は、確かに黄色の竜であり、天界で遇った麒麟のようにも見えた――。

 どちらにしろ、誰かに話すことのない話だ。
 今は、郷の皆と楽しく暮らしてゆくだけで、あいつらと同じ時を生きることだけが大切だった。

 それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】

著作:紫草


 
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