大昔。
空に我等、龍神が多く飛び交ふ、その下に――
世界の東に位置し、その海に君臨するは龍王。
しかし、いつしかその名は有名無実となり、天上界という名の小さな世界となり果てた。
龍族のなかより生まれし青龍刀を持つ者を育て、多くの世を守るための青龍を出す。
青龍刀を持った者にだけ口承により与えられる不文律。ただ、いつの頃からか青龍刀の出現率は低下してきている。
龍族の力にも限界がくるというのか…
しかし天上界の東を守る青龍には、どうにもならないことである。
ザキを天界へなど送るからだ。
どうせ送るなら、私にすればよかったものを…。
ザキならば、まだ若い。この後、春宮の不在を耐えるだけの時をかせぐことは可能だったろう。
龍族でありながら、青龍の後継に悩むことになるとは。
長は、たびたび此処を訪れた。
しかしザキを放出した後、会ってはいない。そのくらいしなければ、怒りは治まらぬ。
長…
否、東海龍王。
何が悲しくて、東の海の王の名を捨てたのだ。
ご自身こそが誰よりも、立派な青龍刀を持っているというのに。
天上界の後継と、青龍の後継。
地上界からやってきた男がいたな。あれの躯には龍の匂いがある。先祖返りをした人なのかもしれぬ。
しかし必要なのは、ふたりの後継者。
≪馬鹿馬鹿しい。青龍など、この東の海には必要ない。長が兼ねれば済むことだ≫
青龍が、そう云い放った時、長の訪れを知らされた。
永い時、無視をし続けた長。
今、門を開く意味を彼は気付くだろうか…
驚く長の顔を見るのも、久し振りだ。
≪老いた我に驚いたのか≫
「そうではなく、この門が開くとは思っていなかったので」
そう思う程、時が経ったか…
≪それで何の用だ≫
「地上界のジュラから、ここの水鏡に知らせを送ると約束したことがありました。もう諦めてはいます。今更消息を知っても何もしてやれない。ただ無事なことだけでもいい。知っていたいと思います」
珍しく真剣な眼差しを向ける長に興味を持った。
≪地上界。ジュラが何故、地上界へ往く≫
「リューシャンとザキーレを捜して――」
今度は、こちらが驚く番だった。
ザキたちが地上界に居るというのか…。
「リューシャンのことは聞いていますか」
≪白虎が知らせてきた≫
「何の気まぐれか。シヴァが二人を人界へ送ったと」
青龍は黙っていた。
考えているのか、悩んでいるのか。それは本人にも理解できていなかった。
≪ジュラでは無理だろう。此処と地上界では遠すぎる。今では空間の河が閉じ、水というだけでは繋がらぬ。ザキを呼んで遣る≫
「青龍殿。もしや寿命がくるとか」
≪そうだな。少し永く生き過ぎた。もう後継を決める時期だ≫
「ザキーレを呼び戻すと」
青龍は頷いた。
すると長は、憂いに沈んだ顔を見せる。それは余りに様子がおかしいと感じた。
≪どうした≫
「ザキーレは戻ってはこない。リューシュンを殺さなければ」
≪何!?≫
「それができなければ、ザキーレ自身が人界での死を受け入れるか…」
長が帰っていく。
≪水鏡の件はいいのか≫
「ザキーレを苦しめてまで知ろうとは思わない。それより青龍殿の後継をお願い致します」
≪お前が兼ねろ! 東海龍王≫
そう云って青龍の証しを長の足下に置く。
そんな青龍を一瞥し、今度こそ彼は去って行った。そこに“証し”を残したまま…
永く籠もり過ぎたか。ザキだけでなくリューシャンまでもが地上界にいるとは。
≪本当に頑固な奴だ≫
そう呟くと、物思いに耽りながら青龍もまた雨の中に姿を隠した。
雨中の東海も、清浄な空気とは云えなくなってしまっている。
少しでも生きながらえるのが、今の我の一番の仕事か…
それはまた別の機会の、お話ということで…
【了】